小学校での英語教育

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政府の教育再生実行会議が先日、小学校からの英語教科化を提言したことが話題になりました。

「英語学習」小学校から充実を、授業の現場の声は


このニュースに関してとあるラジオ番組でコメントしていた識者の方のご意見がどうもしっくりこなかったので、どうしてしっくりこなかったのかいちど文章化して考えようと、そういう趣旨。


まず、識者の方のご意見をさっくりまとめると(本当にさっくりですよ)
・小さい頃から英語教育をすることで、苦手意識を植えつけてしまう恐れがある。逆効果で英語きらいが増える。


・グローバルな人材を増やしたいとなったときに、なぜ英語教育なのかに明確な理由が見つからない。本当の意味でグローバルであることは、自国の歴史や文化について語れることであって、英語が喋れるかどうかは次の問題。まずは国語教育と国の歴史や文化についてしっかり学ぶべき。

この2つが今回の提言に対する反対意見の主なものなようです。


まず僕の立場を明確にしましょう。
僕は小学校からの英語教育はやればいいのではと思っています。(教員の確保や教材の不備などの課題がクリアになって、やれる態勢が整えばぜひやってくださいということです)
その理由として上にあげた2つの反対意見に対して自分なりの見解を出していきます。


まず、ひとつ目ですが、これ、反対意見というかただの言いがかりですね。
小さい頃から英語に触れることで英語きらいが増えるのでは?って、そんなこと言ったら小さい頃から算数やらされて中学生になるころにはきっちり数学に苦手意識を持たされた僕はいったいどうしたらよいのでしょうか。
いくら算数や数学が嫌いでも義務教育を通してほぼ強制的に勉強したことで加減乗除くらいはできるようになりましたし、数学的思考もほんの少しは備わったので今では感謝してますよ。
そもそも好きな教科、嫌いな教科なんて人それぞれあるわけで、英語が嫌いになる子もいれば、ものすごく好きになる子だっているかもしれないのに、そちらには一切の可能性を閉ざしているこの頑迷さ・・・。
右にならえで誰も彼も英語英語という風潮に異議を唱えたかったのかもしれませんが、この意見はちょっといただけません。


次に、真にグローバルであるとは云々という意見について。実はこの意見にはわたくし完全同意です。あまりに正論すぎて言葉にするのも憚られますが、英語を話せることよりも、英語で何を話すのかが重要であることになんの異論もございません。
ただ、それでは今までの教育でわれわれは日本のことをどれくらい学んだのでしょう?という疑問は避けて通れません。
少なくとも僕はあまり学んだ記憶がないかなぁ。いや、きっと学ぶ機会はそれなりに与えられていたけれど、それを重要なこととして受け止める意識はなかったですね。
日本で生活して、同じ風土、同じ文化で育った同胞とだけ交わって生きていくことを当然のことであると思う島国のティーンエージャーに、日本のことを学べとどれだけ言ってものれんに腕押しでしかないと思いますよ。
人間は楽をしたいと思う生き物です。必要にかられなければなかなか腰が上がりません。「自分の国のことを知らないとマズイぞ」と、そういう危機感を持った時が学びにとって最適な時期でしょう。そのためには違う国の人の中に混じって乱取りのごとく様々な質問にどんどんさらされるのがもっとも手っ取り早い。
幸いにして英語が好きだった僕は高校を卒業して外国へ留学しました。そこで思い知らされたこと、それは「自分は日本のこと、自分の育った町のことをなにも知らない」という事実でした。
外国で知り合った人に日本のこと、育った町のことを聞かれるたびになにも話せない自分に嫌というほど向き合いました。
僕が日本について改めて勉強し始めたのはそれがきっかけでした。(神道なんて言葉、高校卒業するまで聞いたことすらなかったよ!少なくとも学校じゃ習ってねぇ!)


逆説的ではありますが、自国のことを学ばせたいのであれば僕は日本以外の国で仕事をしたり生活をするということがこれからのリアルな選択肢であるということを学生たちに痛感してもらうのが良いと思います。あえて過激に言えば、国外へ強制的に送り出してしまう。そうなれば誰だって最低限の準備はしようとするでしょう。
そのために彼らが自分を守る鎧として英語を身につけさせる。
どうして英語なんだ?と問われれば、それが現状の国際社会における一応の標準語だからだとしか言えません。
別にいいんですよ、タガログ語だろうがギリシャ語だろうが。でも汎用性考えたらとりあえず英語じゃね?ってね。(これについては他のレトリックもありますが文章にすると長いので割愛)


ちなみに、小さい頃から英語教育という話題で僕がリアルに目の当たりにしたのはフィリピンにおける韓国人の子どもたちの多さ。将来的にアメリカへの留学を目指す子供がその準備段階としてフィリピンの、特にセブにある英語学校に通うというのが韓国ではわりと一般的であるというのは以前から聴いていましたが、実際に目の当たりにするとなかなか印象的でした。


と、そんなことを実は友人の斎藤先生とやっているトーク番組でつい最近話しています。
興味のある方はそちらもどうぞお聞きください。
はー、この宣伝するまで長くかかったなぁ!