これが吊り橋効果か! またはストックホルム・シンドロームな映画『ヴィクトリア』感想
ここのところ慢性的に首から肩にかけて寝違いのような状態が続いています。机と椅子のせいなのかなと思うのですが、会社でも自宅でも特に環境を変えたわけではないので不思議。
そんな中で今日はとある映画を地べたに座って鑑賞したものだからいつにも増して首の張りを感じます。この映画についてはひょっとするとまた感想書くかもしれませんが今日は別の映画について。
『ヴィクトリア』というドイツ映画の感想いってみましょう。
*画像は公式サイトより
上に貼った画像にデカデカと書かれているので説明の必要もないかと思いますが、この映画のウリはなんといっても全編ワンカットで撮影されているところです。
こういう手法の映画、有名どころではヒッチコックの『ロープ』があったり、近年ではアカデミー作品賞を獲得したイニャリトゥ監督の『バードマン』でも変則的な形であれ取り入れられています。
ただワンカット撮影というキーワードだけで今作と上記の映画を関連付けるのはちょっと違うと思っていて、むしろ撮影手法に関して言えばボクはこちらの映画に近い印象を受けました。
映画『サウルの息子』予告編 アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
今年のアカデミー外国語映画賞を獲った『サウルの息子』です。
どちらの映画もスクリーン上の情報量を絞って撮影されていて、観客は主人公目線を半ば強要される形で映画を追いかけることになります。『ヴィクトリア』はそこにワンカット/リアルタイム演出を加わえたぶん『サウルの息子』以上に疑似体験映画としての機能が強い作品と言えます。
それではいったい観客はなにを疑似体験することになるのか。それはズバリこういうことでしょう。
【140分でガラリと変わる人生のダイナミズム】
主人公のヴィクトリアは3ヶ月前にマドリッドからベルリンへ越してきたばかりで友達もできず孤独な日々。その孤独で退屈な日々に終止符を打つ夜を観客は疑似体験することになるのですが、その内容がなかなか面白くてですね、詳細は観てのお楽しみということで参考までに似たような感覚を持った映画を挙げておきます。
リチャード・リンクレイター監督の 代表作『ビフォア・サンライズ』とアメリカン・ニューシネマの傑作『俺たちに明日はない』です。
どうしたらこの2作を並列にできるのかと自分でも思いますが、今作は見事にこの両極のエッセンスを混ぜ合わせられていると思います。
というかですね、ボクは映画が始まってしばらくした時に制作者がワンカット撮影を選んだ理由は『ビフォア〜』シリーズが活用したあの手法をさらに突き詰めるためなんだと合点がいったんです。無軌道で無目的な若者たちの気怠いのだけれど、でもそれこそが心地よいオールナイトの狂騒というあの感覚を味わうのなら映画の時間軸がリアルタイムと同期しているというのは物語的な必然性に満ちているなあと。
ところがこの映画はそこから思いもよらぬ展開に転がっていくんですね。今作を観た人の中にはきっとこの展開、具体的に言うとヴィクトリアの選択、を理解できない人も多いと思うし、そう思ってしまうのもムリはない急展開ではあります。
ただ、そこに彼女の心情を慮る補助線として『俺たちに明日はない』があるんです。
つまり、心の何処かでこのくだらない日常をぶっ壊してくれるなにかを待ち望んでいたヴィクトリア、その目の前にそのなにかが現れた。なにか危険な香りがすることは明らかでも、このまま日常に埋没していくくらいなら飛び込んでやろうと、まさにボニー的な跳躍を彼女は果たしたわけです。
吊り橋効果というのは人がなにか緊張を強いられる経験を誰かと共にするとその相手に通常より強い結びつきを感じるというものですが、この映画を観ると「これが吊り橋効果か!」というのがはっきりわかって非常に面白いです。
わずか1時間前にはなんの関係もなかったふたり、その関係性の変化っぷりを味わう意味でもワンカット撮影は必然性があるなあと思いましたね。
ただ映画が終盤に向かうにつれて徐々にこれは吊り橋効果というよりストックホルム・シンドロームなのでは、と思うに至るところなんかはちょっと怖かったですし、そこもまたボニーアンドクライド的だったりしますね。
ついつい撮影手法に話題が行きがちな映画ですけど、参考作品としてあげた2作からも分かるようにキャラクターの心情描写の巧さ、男女の会話劇としてのクオリティなんかもじゅうぶんあって見応えがある作品なのではないかと思います。
黒田清輝展に行ってきました
お昼ごはん食べに外へ出たらちょっと肌寒いなと思ったんですが、ここ数日が暑すぎたんですよね。感覚が狂ってます。
GW狭間の金曜日に天気が崩れて週末にはまた暑くなりそうなんて、空模様はなかなか気の利いた演出をするものですね。
今日はサクッと仕事を切り上げて上野へ行きました。
目的は東京都美術館で大絶賛開催中の若冲展を観るため、だったのですが! 夜ならさすがに空いているだろうという目論見はもろくも外れて人・人・人の大行列。それでも昼間に比べれば短い待ち時間なのでしょう。とは言え閉館時間の20時まで30分もないときに入館してもなあということでチケットだけ先に購入して急遽予定変更。
すぐ近くの東京国立博物館にてこちらも絶賛開催中の『黒田清輝展』に行ってきました。こちらも行かなきゃな〜と思っていたので全く問題なし! で、なんなら内容もすっごくよかったので結果的には大変良い予定変更となりました。
黒田清輝というと美術の教科書で必ず取り上げられる日本人画家なんていう説明が一般的なようですが、こと自分に照らし合わせるとまったく記憶に無いんですよね。当然、彼が日本における西洋絵画の道を切り開いたことも知らなかったし、『湖畔』や『読書』などの代表作にもまったく馴染みがありませんでした。
それがどうして黒田清輝に興味を持ったかといえばご多分に漏れず過日タマフルでやった特集を聴いたからに他ありません。
それを踏まえて鑑賞したこともあってか入り口すぐに展示されていた『婦人像(厨房)』を観て「そんなに下手じゃないじゃん」と思ったのは大変失礼な話。
展示会では彼の写生帖なんかも展示されているのですが、そこにササッと描かれた人物デッサンなんかを見るとそりゃ上手いです。ただ風景画はあんまり強くないかな。どちらかと言うと人物造形に長けている人なのかなという印象を受けました。
この展覧会は黒田清輝の膨大な作品を展示するのはもちろんのこと、彼が師事したラファエル・コランの画や、彼が影響を受けたとされるミレーなど有名画家の画なんかも展示されていて実はめちゃくちゃ見どころがあります。
特にコランの画は黒田清輝と向かい合いで展示されており、それがため黒田清輝には酷なことなのですが「さすが師匠!」と気がつけばコランの作品ばかり熱心に観ることになりました笑 (ミュージアムショップでも本当はコランの画が欲しかった)
とは言え黒田清輝がフランスを離れ日本に戻ってきてからの作品には確実に彼のアイデンティティが備わっており、技術の高低だけでは測れない魅力を発揮していました。つまり西洋画の技法や表現形式を日本の風土や景色の中にいかに応用していくのか、この部分にこそ黒田清輝の本領があるように感じました。
そこで出て来るのが『湖畔』であり『舞妓』という彼の代表作ですね。ただ、個人的には作品番号156の『野辺』にいちばん目を奪われました。
上述した師匠コランが描く画を黒田清輝にとってひとつの理想と捉えるのならば、その理想を彼が実現できたとは思えません。あまりに表現力が違います。ただこの『野辺』において黒田清輝はコラン的な題材、コラン的な表現をベースにしつつもコランとは確実に違う表現を獲得したように感じました。敢えて言えばそれはファンタジー対リアリティーで、黒田清輝の描く生々しい女体がとても良かった。
閉館まで時間がなくて終盤を少々駆け足で観ることになったのは残念なのですが、各時代ごとにテーマをもった展示が施されており最後まで興味深く鑑賞することができました。
展示会終了までもう時間も限られていますので、もしまだ行かれてない方がいらっしゃいましたらぜひ足を運んでみると良いかと思います。
いやーほんと思い出すだに素晴らしい展覧会でございました。
その時、歴史が動いた。香川うどん巡り2016 2日目
香川ストロングスタイル
Beautiful, Loved & Blessed
ニュースを知ってリアルにその場でへたり込んでしまいました。
今日は世界中のたくさんの場所で彼の曲が流れていることでしょう。
ボクもそのひとりです。
TAMAR DAVIS FT PRINCE BEAUTIFUL,LOVED AND BLESSED
安らかにお眠りください。
#さんピン20
熊本は地震で地盤が緩んだところに大雨まで重なって土砂災害まで起こっているようですね。こういう時、自然というものの恐ろしさとままならなさを痛感します。
あと、ボクも反省しなければいけないのですが今回の地震は決して熊本だけに起きたわけではなく大分も被災していることを忘れないようにしないといけません。
大分への救援が足りていないという声も聞こえます。小さな声でもどこかに届くと信じて。もちろんボクも自分の出来る範囲で熊本・大分への支援続けたいと思います。
昨日の記事で日本語ラップについて触れたその翌日にスゴイ一報が入ってきましたので触れておきます。
さんピンCAMPが20年ぶりに開催されることが発表されました。
さんピンCAMPって? という人は興味あればググッていただくとして、本当にいま日本語ラップが何度目かの盛り上がりを見せているんだなと実感しますね。
おそらく2000年の前後2〜3年が日本のヒップホップとヒットチャートがもっとも緊密な関係を築いた時期とは言えるんでしょうけど、それがいわゆるヒップホップ好きのリスナーから好意的な目で見られていたかというと、そうとは言えないのも事実。ボクはそういう閉鎖的な見方が結局シーンを盛り上げきれなかったんじゃないかなと思うし、もっとうまく利用することはできなかったのかなとも感じていました。
でもそれから10年以上経過したいま、コアなファンもライトなリスナーも、それから流行りものが好きな大衆一般もが同時に日本語ラップを楽しんでいる状況ができつつあるのを目の当たりにすると、急がばまわれだったかもしれないと違う考えも浮かんできます。
そして今回のさんピンCAMP20の第一弾として出演がアナウンスされている面々がまさにこの10年を支えて盛り上げてきた最前線の人たちだというのがまた感慨深いですね。もちろん詳しい人からすれば「じゃあアイツはどうしていない?」なんて声もあるのでしょうが、それは色々事情や考え方もあるでしょうし、第二弾に期待ってことかもしれないのでまずは次の発表を待ちましょう。
もちろん今回の発表を見てすべての日本語ラップ好きが抱いている『あのグループやあの人やこの人』もおそらく第二弾として出て来るでしょう。いや出てこないわけがない。
むしろこの次の10年を担う存在として誰をピックアップするのかに注目したいむきもあるのですがどうでしょうね。
あとこの曲のような次なるクラシックが披露されれば言うことなしなんですけど、そこまで期待してもいいような気がするくらいいい感じがしています。
震災と日本語ラップと
ランニング後のストレッチをしながらふと夜空を見たら、一面に張り出した薄い雲を透かして月明かりが漏れていましてね。これがおぼろ月夜ってやつかなと思って調べてみたらまさにその通りでちょっと嬉しくなりました。おぼろ月夜は春の季語なんですね。ズバリ今の季節だから観られる自然の美しさなのだと思うと気分がいいものです。
熊本を襲った地震からもうすぐ一週間が経ちます。
少しづつではありますが救援物資も届き始めたり、コンビニなども営業を再開したりと明るい話題も聞こえてきましたね。
著名人が率先して広く支援を呼びかけたり、なかには被災地へ直接赴く人もいたりなど被災地へのバックアップも日増しに強くなってきました。
そこでボクが気になるのは日本のヒップホップアーティスト達の動きです。
と言うのも東日本大震災の直後は日本語ラップの動きが活発だった割に、今回はあまりそのような話を聞かないから。これはただボクの粗い網目のせいもあるかもしれませんがね。
ボクが知るかぎり東日本大震災のあと一番早く音源をネットへ上げたのはHAIIRO DE ROSSIで、確かあの震災の翌日には『PRAY FOR JAPAN』を発表してたと思います。
そしてその後に発表されたのがこの曲でした。
これ、ランニング中にシャッフルで音楽流している時にたまに流れてくるのですが、いまだに聴くと背筋が伸びるというかピリッとした緊張感を覚えます。中でもPUNPEEのバースでしょうか。普段の彼からするとかなり感情的なラップがいかに当時のわれわれ多くの人が同じようにエモーショナルだったかを露わにしています。
あの時のことは思い出したくないという人も大勢いらっしゃるでしょう。その感情はよくわかります。でもボクはたまにシャッフルで流れてくるこの曲とまるで出合い頭に衝突することでなにか自分の中でバランスを取っているような気がします。あの時に感じたこと、考えたことをボクは忘れたくないですから。
これらの曲が多くの収益を生みそれが義援金として被災地へ流れたとかそういうわけではありません(多分)。むしろどちらもフリー音源、つまりメッセージを届ける媒体としてまだ混乱の最中にある世の中に公開されたものです。
まさにボクは当時これらの音楽を聴いてとても助けられましたね。安っぽい言葉かもしれませんがひとりじゃないと思えました。
同時にヒップホップという音楽の魅力を改めて感じるきっかけにもなりました。出来事への即座の反応にはうってつけのフォーマットだということ。そして言葉数多くメッセージをビビッドに表現できるラップという手法がその出来事を記録するドキュメントとしてとても効果を持つということです。
だからこそ今回は日本語ラップから熊本を盛り上げる一発が出てきていないのがちょっと残念というか、にわかに日本語ラップ周辺が盛り上がっている今だからこそぜひ強力なやつを期待したいところです。