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気になるニュース from スーダン

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このニュースに強く惹きつけられた。

 

CNN.co.jp : 改宗拒み死刑判決受けた女性、獄中で出産 スーダン

 

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なによりもまず問われるべきは信教の自由を認めないスーダンであることをここに明記して先に進む。

 

語弊を承知でこの表現を使えば“たかが”宗教のために彼女は死刑の危機に瀕している。そして拘置所の中で、夫の立ち会いも許されない状況で子供を産まなければならなかった。人を殺したり、他人のモノを盗んだわけではなく、その思想信条のために彼女は想像もできないほどの苦痛を負わされている。

しかし、逆を言えばこれだけの仕打ちにも負けずに戦い続けられるのは、その信仰心のためとも言える。

 

信じるがゆえに苦難を強いられ、信じるからこそ苦難にたち向かうことができる。古くはヨブ記から提議されている信仰心の生み出す相克がいま現実に起きている。

 

そもそも不信心な身としては脊髄反射的にこう思ってしまう。

とりあえず表面上はイスラムに改宗したということにしてしまえばいいじゃないか。そうすれば愛する人と一緒に子供と暮らせる。心の中のほんとうは誰にもわからないのだから、キリストへの信仰を持ち続ければそれでいいじゃないか、と。

 

けれどここで冷静に考える。

彼女はなにか罰を、それも死刑を受けるに値することをしたのか。

もちろん答えは『ノー』だ。彼女は何もしていない。

そう思った時に僕はこの事件の捉え方を誤っていたと気がついた。

これは信仰心の問題じゃない。ひとりの人間の尊厳の問題だった。

 

彼女は自身の尊厳を守るために信仰心を拠り所に闘っているのだ。

 

そう考えると、なぜ人は神を信仰するのか?という疑問にも一定の解答を用意できそうだ。

 

しかし記事を読み進めると、彼女を告発したのは彼女の実の兄弟だったという記述が…。

 

信仰は血のつながりを超える?

 

ああ…。この問いは僕の想像を超えているのでまたどこかで。

答えに届きそうで、その場所はまだまだ遠くにあったというおはなしでした。

 

最後になりましたが、とにかく彼女に非はなく、ましてやこんなことで死刑を宣告するなんてことは絶対に許されない。何ができるわけではないけれど、彼女が無事に解放されることを願って。

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ちなみに彼女の行動を信仰ではなく尊厳の問題として捉えると、この映画で描かれていることと根本的には変わらないとも言える。

 

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