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別世界へのいざない

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僕はもう超がつくくらいの文系ボンクラ野郎なので文章を読むのは割と好きなのですが、その中に数字が混じると途端に速読a.k.a.飛ばし読みをかましてしまうほどの数字下手でもあります。
つまり理系の頭はこれっぽちも持っていないのですね。
その証拠に高校生の頃には数学で0点を取ったことすらあります。
それもこの0点は初めからテストを放棄して投げやりに得たそれではなく、正真正銘ベストを尽くした果てにたどり着いた由緒正しき0点a.k.a.リアルバカなそれなのです。
ですから中学・高校の頃などは数学ないしは化学など出来るなら避けて通りたくて仕方のないものでした。
けれど、そんな僕の心境に変化が訪れだしたのは学生ではなくなってから。
自分の持つ知的探求心がわからないなりに、いやわからないからこそ数学的世界への憧れへと昇華されていきました。
そこで手に取ったのがこの本。

感動する!数学 (PHP文庫)

感動する!数学 (PHP文庫)


数学世界の歴史の変遷や小話、さらには数学論そのものにまで非常にカジュアルな語り口で興味深く読者を誘い込んでくれる一冊。
すると、冒頭に早速見逃せない一節がありましたよ。
それは0(ゼロ)のお話。
ここで筆者の桜井氏は日本には二つの0があると指摘します。
一つは0をゼロと読むときの0。もう一つは0を零とする際の0。
0をこのように二通りの言葉で表すのは日本語以外にはないだろうと桜井氏。
ではその二つにはどのような違いがあると思いますか?
桜井氏の解釈によるとそこには0に対する絶対性の有無があるそうです。
例えば「昨日の交通事故による死者はゼロ人でした」というフレーズにおいてゼロは全くの無を意味しています。
けれども「テストは零点だった」というとき、この0には結果として答えは導き出せなかったけれど、そこに至るまでの思考・試行の中に答えへの糸口はあったかもしれないという非絶対的な0の概念を持ちだしてきているのです。
そもそもが絶対的な概念である数字、そのなかでもとりわけ絶対的な0にさえファジーな領域を用意するこの日本人の感覚に桜井氏は感慨を覚えるそうです。
そう、つまり上述した僕の0点の数学のテストにはとてつもない可能性があったわけです。
いやぁ、この視点を得られただけでも僕はこの本を読んで好かったと心から思いましたね。
0という数字ひとつにもこれだけの意味を持たせることができるなんて思ってもみませんでした。
そのほかにも数学宇宙という形而上の世界の一端を垣間見る度に僕の好奇心はワクワクしっぱなし。
ただし、内容の半分も理解できてません(涙)
eiπ(パイ)+1=0
この式の中に森羅万象、世界のありとあらゆる真理が含まれていると言われてもねぇ…。
でも総じて刺激に満ちた素晴らしい本でした。
ページ自体は少ないのでもう一度読んでみます(多分理解度に進捗はなし)。