嬉しい悲鳴をあげてきた

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河口湖日刊スポーツマラソンは晴天を超えて眩し過ぎるほどの太陽を頭上に輝かせてその号砲を打ち鳴らして始まった。


前日の会場入りは午後4時ごろ。
都合11キロのファンランをはじめ、河口湖一周の27キロ走、そしてフルマラソンと各種目の総参加者は1万人を超えて過去最高の参加者を記録した今大会なだけに会場の周りには明らかなランナースタイルのおっちゃんから、誘われるがままにやってきたであろう緊迫感のかけらも感じさせない若者まで種種雑多な人々で埋め尽くされていた。
端的に言えばしかしこれこそがランニングの醍醐味だろう。
敷居の低さは様々な人を引き寄せ、そしてその全ての人にその人だけのドラマを生みださせる。
会場にてゼッケンを受け取ればあとはそのときを待つだけだ。


ホテルに着いて少しゆっくりとしてから近くのファミレスにて食事を。
ここにもランナー達が溢れかえっていた。
ランナーたちの熱気に触れるたびにマラソン大会は地域振興産業であるとの認識を強めざるをえない。
お世辞にも栄えているとはいえないかつての栄華を偲ばせる湖畔の慕情はその点とても強烈なコントラストだ。
大会発足当時には色々と軋轢もあったかもしれないが、最早33回を数える国内有数のマラソン大会だけに地元の方々もこの日を目指してやってきたランナーには慣れっこのようだ。
長蛇の列を成すランナーたちを捌くコンビニの店員はただ粛々とレジを叩いていた。


ホテルに戻って大浴場へ。
露天風呂では外国人ランナーとも遭遇。
それにしても人は一体何を求めて走るのだろう?
ただひたすらにタイムという絶対的且つ支配的な尺度へと立ち向かうのか。もしくは絶え間ない日々の中に一種のスパイスのような刺激を求めるのか。
いずれにせよこの幕張からやってきた3人の外国語講師達は終始リラックスムードで明日を迎えそうだ。
何も考えずただ走る。それもまたランニングの醍醐味だ。



当日。
ランナーの朝は早い。いや河口湖マラソンのスタートが早い。
7時半の号砲を目指せば必然的に4時ごろには起きなければならないだろう。
暖かいシャワーを浴びて体をほぐす。
前日のうちに用意しておいたおにぎりを3つ摂取。それからホテルから支給されたサンドウィッチとゆで卵も摂取。
フルマラソンは長丁場だ。これくらいは無理やりにでも食べなければ。
外へ出ると空にはまだ沢山の物語が輝いている。気温はそれほど低くない。
会場へと向かう道で続々とランナーたちと合流する。
自ら42.195キロの過酷な挑戦を迎えようとする人々の列はそれでも決して湿っぽくならないのが愛しいほど。
はっきり言おう。みんな最高のバカモノ達だよ。


会場沿いのおみやげやにて荷物を預けたり着替えを済ませる。
ここでバナナを一本摂取。こまめにエネルギーを溜めなければ結末は悲惨だ。
スタート時の気温は2.7度。
Tシャツにランパン。手袋とアームウォーマー、さらにハイソックスをしているとは言っても普通に考えれば明らかな薄着だ。
それでも不思議と寒さを感じないのは気持ちの高ぶりの効果か。それともここに集う人々の活気の為せる技だろうか。
軽めのアップを繰り返し、アナウンスに従ってスタート地点へと向かう。
緊張はない。
主催者の面々からのお言葉を頂戴する。
ゲストの中にはこれぞアニメ声と判を押したくなる美声を持ったアキバ系アイドルの女性もいた。
こうした時代の趨勢を喰ってマラソン大会も大きくなっていくのだ。
なぜなら彼女は確かに言った。
アキバ系も走りますぅぅ」
結局彼女の顔を見ることはなかったな。


7時半。ついに人生初のフルマラソンが始まった。
実際にスタートラインを超えるまでには1分ちょっとくらいを要した。
自分なりのレース展開は5キロを23分台で通すことに決めていた。
しかしスタートから暫くは人の波に翻弄されてペースが掴みづらい。
それでも入りの5キロは22分55秒と上々の出来。
しかしその後の10キロ地点では22分20秒。15キロ地点では22分40秒とラップが刻まれる。
このままでは間違いなく後半のガタ落ちに陥ると思い、ペースを自制。
その後は30キロまで見事に23分台のラップで押し通せた。
それにしても周りには明らかにオーバーペースな人たちがいてこちらが不安になるほど。
10キロ過ぎ辺りですでに呼吸が荒い人を見かけると気の毒で仕方がない。
あとは大学生くらいの若者。変にスピードがあるだけに最初は威勢がいいのだけれど後半になると予想通り満足に走れる状態ではなくなっていた。
もちろんこちらも30キロ過ぎから辛いのは変わらないが、それでも一定のペースを保って走れば自然と順位は上がっていく。
ウサギとカメの教訓はここにその実証を見た。


沿道の看板がカウントダウンへと表示を変えると、そこから本当のフルマラソンが始まる。
もう精神は崖っぷちで、「歩いて楽になりたい」「思いっきり寝転んだら気持ちがいいだろうな」という誘惑が引きもきらない。
しかしそれでも走り続けていると残り2キロの地点で目の前に富士山の壮大な姿が現れた。
けれどもギリギリの人間はそこにドラマを見出せない。
むしろその雄大さと反射する太陽の輝きが眩しくて恨めしくて帽子を目深にかぶったほどだ。
もう限界だった。顔は苦痛に歪み、右のふくらはぎは完全に破壊されていた。
でも内心はゾクゾクしていた。こんなに自分を追い込むことって果たして今までにどれだけあっただろうか。
苦しくなればなるほど生命は躍動する。
それは生き物が根底では矢張りこの命を欲しているからだ。
アホみたいな理論武装で生命を語らなくとも生命自身はこの活動を途絶えさせたくないとひとりでに動き出すのだ。
そして表示がついに1キロを示した。
何も考えず、いや何も考えてなどいられない体が最後のエネルギーを搾り出す。
そしてゴール!
タイムは!?と表示を見ると3時間17分01秒という文字が。
このときの気持ちは何と表現したら好いのだろう。
達成感?充実感?それでは何だか役不足だな。
きっと「言葉に出来ない」って本当にあるんだな。
嬉しい悲鳴の反響は音ではなくとも確かに聞こえた。