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選挙2

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この記事を書いているのが7月20日。あと少しで日付が変わるところ。明日は参議院選挙の当日です。(書いていたら結局日付が変わってしまいました・・・)
僕が初めて投票行動をしたのは2004年。タイミングよく(?)アメリカ留学から夏休みで帰省していたところに行われた参議院選挙に行きました。
いまの自分に輪をかけて政治のことなどなにもわからない状態でしたが選挙権をはじめて行使できる喜びだけで投票所へ行った記憶があります。(誰に、どの政党に投票したかはまったく覚えていません(苦笑))
気分は夏フェス。せっかくチケットあるんだし行っとくでしょ?ってノリ。
自己弁護的に言わせてもらうと、政治に関心のない人でもそのくらいの心構えでまずは選挙にいけばいいんちゃう?と個人的には思っています。


とは言え、せっかくの投票権です。自分たちの未来や生活がそれによって左右されることも考えて、できれば自分と同じか似たような思いを持つ候補者へ票を投じたいと思うのが多くの方に共通の想いでしょう。
それではそんな候補者をどうやって見つけるのか。
遅すぎるくらいのネット選挙解禁*1が今までよりも各政党や候補者の考えに触れる機会を増やしたことが候補者選定の一助になっていることを願いつつも、やはりまだリアルな圏域での情報が投票行動に大きな影響を与えていることは否めません。


それではその「リアルな圏域」で僕たちは正しく候補者を選ぶことができる、そんな状況が確保されているのでしょうか。
みんながなんとなく知っているようで、実はまったく知らない選挙運動の実態を知ると、その答えが垣間見えるかもしれません。
そんな体験を僕は「選挙」という映画を通して味わいました。
この映画が日本で初公開されたのが2007年で、僕はそれから遅れること2年の2009年、渋谷のシネマライズで細々とリバイバル上映されていたところに滑り込んだことを今でもよく覚えています。


この映画の主人公は山内和彦さん(通称:山さん)と言って、小泉旋風が吹き荒れていた2005年に自民党から落下傘候補として川崎市の市議会選挙に出馬し、票になることならとにかく何だってするというドブ板選挙で見事に当選を果たしました。
ただ当選したとは言っても、いったい何をもって山さんが市民から信任されたのかがよくわからない。なぜなら彼がやったのは、東に地区のお祭りがあれば駆けつけて一緒に神輿を担ぎ、西に老人会の運動会があれば出席して一緒にラジオ体操を行うというものだったから。
つまり選挙に通るか通らないかは政策の良し悪しなどではなく、どれだけ顔を売ったのかという人気投票なのだ、という現実を淡々と暴いたのが「選挙」という映画でした。


あの選挙戦から6年が経ち、議員から主夫として一人息子の悠喜君を育てる毎日を過ごしていた山さんが再び選挙戦に打って出るという。それも今度は完全無所属で選挙費用わずか8万4720円の戦い。
監督の想田和弘さんは山さんが出馬宣言をしてからわずか数日で滞在先だった香港から日本へ、あの川崎市宮前区へ再び戻ってカメラを回し始めました。
そうして完成したのが今回紹介する「選挙2」という映画です。(前振り長すぎ!)



今回の選挙2が前作と大きく違う点がいくつかあります。
まずいちばんの違いは3.11を経たことです。
山さんが出馬した川崎市議会選挙は投票日が2011年4月10日。つまり震災とその後に明らかになった原発についての問題が日本中で論議されていた渦中のその時期に行われた選挙でした。
しかし候補者からは原発をどうするのかについての声はいっさい聴こえて来ません。これに異議を唱え、怒りを覚えたのが誰あろう山さんだったのです。
前作との大きな違い2つ目。それは山さんが明確なメッセージを持って立候補したことです。
前回の選挙では自民党55年体制で構築してきた伝統芸のような集票システムだけで、一切の主張がないままに選挙戦を戦った山さんが、今回は主張はあるのに票集めのシステムを持ち合わせていないという真逆の選挙戦を戦います。
そして負けます。
一切のドブ板選挙を放棄して、ポスターとわずかなはがきを送付しただけという、まるで青島幸男スタイルな戦い方で勝てるほど選挙は甘くないという現実はあるとしても、震災からわずかひと月も経っていない当時の日本で、まるで臭いものには蓋と言わんばかりに核心を避ける候補者や、原発を推進してきた自民党の候補に多くの票が入ったという異常性にも目を向けたいところです。
少なくとも山さんはそれを訴えていました。最後に一度だけ行った街頭演説では防護服に身を包むという刺激的な出で立ちでいたにも関わらず通りを行く人はその姿に目もくれず立ち去っていくのです。
想田監督のモノ言わぬカメラが今回暴きだしたのはズバリわれわれ国民の側の見て見ぬふり、無関心の果てにある景色です。
右にならえでマスクを装着し通勤通学。ラーメン屋では使用食材に汚染されたものはないと張り紙で告知を余儀なくされるほどに当時はみなが神経質になっていました。今では聞くことも減りましたが、メディアはこぞって今日の放射線量は何々シーベルトですと煽り立てていました。
しかし、目の前で原発をこれからどうしていくのか、子どもたちの未来をどうするのかについて訴える山さんの声は誰にも聞かれません。


想田監督は撮影を終えてからずっとこの作品の編集にとりかかる気にならなかったそうです。
自分が収めた景色からいったい何を表現できるのだろうかと考えがまとまらなかったというようなことをインタビューなどでおっしゃっています。
それが昨年の衆議院選挙をきっかけに閃きました。
あのとき収めた奇妙な風景と自民党が圧勝した先の選挙の風景が重なったからです。
あれだけの被害を出し、いまだ安全性が完全に立証されないままで推し進められる原発再稼働。
公権力の暴走を抑え、国民の権利を守るために存在する憲法をまるで正反対の性格に変えようとしている改憲草案。
果たしてそれらの投票は政策に共鳴する人々が投じたものなのか。それとも柔和な笑みでこちらに笑いかけるポスターのイメージが呼び込んだ人気投票だったのか。


投票に行くも行かないも、どの政党にどの候補者に投票するもすべて僕たちの選択です。
ただ無関心でいることだけはやめにしたいですね。
自らの意思で、自らの態度で。Choice is Yours.


*1:ネット選挙のゴールはオンラインでの投票ができることなのでいまはネット選挙「運動」解禁でしかない