ボーダーラインはとても良い映画です。

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どうもここのところ慢性的な首のハリと肩こりに苦しんでいます。左のふくらはぎから腰にかけても同じくイヤなハリがずっとあって気持ちが悪い。これのせいでなのかわかりませんが夜中に目が覚めてしまう夜が続いています。マッサージ行こうと思ってるんですけどついつい他のことに時間を使ってしまってダメですね。

 

今回言いたいことはタイトルに書いたので、あとは実際に映画館に行ってもらえればそれで目的は達成です。

この映画に関しては昨年アメリカで公開された当時から良い評判を聞いていたのではやく日本公開されないかなと心待ちにしていました。原題『Sicario』がどんな意味だろうという興味も含めて印象的だったので『ボーダーライン』という邦題で劇場に大きなバナーが吊るされていてもはじめはその映画がまさか『Sicario』のことだと思わずあやうくスルーするところでした。

ちなみに『Sicario』の意味ですが本編開始時に説明されますので気になる人は映画本編見てください。こうやって何度も劇場へ誘導を試みるとまるで関係者のように思われそうですが違います。善意の第三者ってやつです。言葉の使い方は違ってると思います。

 

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品は『プリズナーズ』『複製された男』につづいて三作目の鑑賞。

プリズナーズ』でヒュー・ジャックマンを通して失ってしまったものへの執着、奪い去ったものへの復讐に心が囚われてしまったキャラクターの狂気を描いた監督が今回は同じく過去に心を置き忘れたキャラクターをベニチオ・デル・トロを起用して描いているのですが、彼の演じたアレハンドロの凄まじい殺気がスクリーンから染みだしてきては見るものを圧倒していきます。『プリズナーズ』とベクトルは違えど今回もまた狂気に身をやつした人間の凄み描写が冴え渡っています。

 

似た作りの映画としてどうしても『ゼロ・ダーク・サーティ』を思い出してしまいますね。どちらも悪を倒すには自らもまた悪にならざるをえないというハードな現実と現実の拮抗をテーマにしていますし、単純にほとんど同じような画と展開もあったりします。ただ『ゼロ・ダーク・サーティ』が毒をもって毒を制すことを選ぶ主人公の行動をカタルシスを感じさせはしないまでもある種の英断として観客に訴えるような作りであったのとは対照的に、『ボーダーライン』では前述のベニチオ・デル・トロを登場させることでその葛藤を相対化して見せることができています。

ただ、そこに許しがたい巨悪がいてもそれを理由に超法規的かつ非倫理的な手段が正当化されてはいけないという一線を死守しようともがく主人公・ケイト(エミリー・ブラント)はいまの世の中ではあまり受けないのではと心配にはなりますね。絶対的善の立場から物事を捉えて発言する人が増えているように思えてならないからです。

悪は裁かれるべきという考えはボクも同じです。ただその目的のために手段を正当化することに疑問を感じない人が増えたら怖い。メキシコカルテルの残虐非道さも怖いけれど、彼らを殲滅せんとなりふり構わないデル・トロも怖いということです。

そういう感覚をしっかり刻みつけてくる意味においてもこの映画は優れた作品だと思いますね。

 


映画『ボーダーライン』本編特別映像