死刑弁護人を見た

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映画「死刑弁護人」
監督:齊藤潤一



死刑制度は存続すべきか否か。
そんなことを問いかける映画ではないけれど、映像を追いながら、また見終わった後にもそのことを自分に問いかけずにはいられなかった。
答えは出ない。

映画は冒頭から攻める。
まず電車の中でPCとにらめっこしている安田弁護士の顔一発。
このときの目つき。昼下がりの適度に空いた車内には似つかわしくない鋭さ。はっきり言って一緒の車両には居てほしくない種類の顔。
この顔をなんのナレーションもなくただ流す。
この時点で製作者側のガッツがビンビン伝わってくる最高の画。

すぐさまシーンは変わりマスコミ嫌いの安田弁護士はカメラに対してこう言う。
「マスコミは人を痛めつけていることが多い。特に弱い人を痛めつけている」
テレビ局制作の映画で冒頭にいきなり自分たちの存在を全否定するような発言を流す。
何なんだこの製作者たちは?!

安田弁護士の担当している事件は社会的なインパクトが大きいものが多く、はっきり言って引き受けるにはリスクが大きい。

和歌山毒カレー事件の林眞須美
光市母子殺害事件の少年
オウムの麻原彰晃

並べただけでこちらの気が重くなる。マスコミの格好のネタばかり。
安田弁護士はこれらのわかりやすい社会悪を弁護するという立場にあることで批判にさらされやすい。
特に光市の事件ではまるで国民の総意であるかのように少年の死刑が求刑され、それに対応した弁護団は「死刑廃止論者が事件を利用している」とまで言われた。
映画の中では一般の人々から実際に安田弁護士宛に送られてきた封書が並ぶのですが内容は「鬼畜」とか「お前も死を持って償え」とかまあ過激なものが多い。中にはカミソリまで同封してあったりという陰湿さ。
自分のやっていることが正義だと思うと無記名の群衆はここまで残酷になれるんですね。
キリストじゃないけどさ「この中で罪のないものだけが石を投げよ」って感じ。

和歌山毒カレー事件に関してはこの映画を見てはじめて違う視点に立てた。
まず、林眞須美(死刑・再審中)は直接証拠は一切無く間接的な証拠の積立だけで犯人にされて死刑判決まで出されているという現状。
背景にはやはりマスコミの世論形成があったことは否めない。
当時のワイドショーは延々とこの事件を垂れ流し、過去の保険金詐欺をもって林被告を犯人に違いないと言外には出さないが主張していた。
当時の報道の様子を見返すと、被告の家を取り囲む報道陣の多いこと多いこと。脚立を使って人さまの家の塀の上から平気で中を撮影する。
ここにも社会的な正義感を後ろ盾にした時にある種の暴力が肯定されてしまう怖さがあります。
ここまで世論が高まると警察も動かざるをえない状況に陥りますが、さきほども言ったように直接的な証拠は一切ないのです。
被告の家から見つかったというヒ素もでっち上げられた可能性があるとか。(こればかりは弁護団の主張をそのまま鵜呑みにはしませんが、この事件をなんとなくの印象でしか捉えてない多くの人にとって事件が思ったよりも単純ではないことがわかるでしょう)

安田弁護士にとっては1980年に起きた名古屋女子大生誘拐事件で死刑を執行された犯人とのやり取りが大きかったよう。
身勝手に人を殺した犯人の行いは決して赦されるものではありません。ただ彼は同じ過ちを他の誰かが犯さぬように、自分が最後の死刑囚になるように自分の生きざまを晒し、自分の思いを伝えていくことがせめてもの償いだと思うようになりました。
しかし道半ばで彼は死刑を執行されます。このことで安田弁護士は自分を責めます。
「事実をでっちあげてでも裁判をやり続ければ・・」なんてギョッとするような発言まで飛び出します。

安田弁護士がどれだけ批判を浴び続けても死刑弁護人を続ける根底には強い信念がありました。
「人は更生できる」
このたったひとつのことを信じ続けて安田弁護士は闘い続けます。

安全地帯から社会的正義を振りかざしてわかりやすい悪を断罪するようなことだけはしないように。
この映画が僕に教えてくれたことです。