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映画「ヒアアフター」 10年米
監督:クリント・イーストウッド
主演:マット・デイモン
   セシル・ドゥ・フランス


休暇先で大津波に巻き込まれて生死の境をさまよったマリー(セシル・ドゥ・フランス)は死後の世界を垣間見た。そのことが頭から離れずにパリに戻ってからキャスターの仕事を休養することに。
サンフランシスコで肉体労働に励むジョージ(マット・デイモン)は相手の手を握ることで死後の世界と繋がることが出来る。かつてはその能力を生業にしていたがそんな仕事に嫌気が差して能力を使うことを控えている。
ロンドンに暮らす双子の兄弟ジェイソンとマーカス(フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン)。薬物中毒の母親を支えながら健気に生活を営んでいるが兄のジェイソンが不慮の事故で命を落とす。母親とも引き離されてしまったマーカスは霊能力者を頼って兄と交信を図ろうとする。
誰にも理解されない悩みを抱えた3人が行き着く先は果たしてどこにあるのか。


見るまでは正直なところ不安が大きかった。
ここ数作の奇跡とも言える名作のオンパレードに比べて今作の評価はあまりにふるっていなかったからだ。
しかしそんな不安は杞憂に終わった。何てことはない。今作も余裕で名作の仲間入りだった。
今作を戸惑いを持って見終えてしまった方はきっと霊能力者やヒアアフター(来世)というオカルトチックな題材に馴染めず、クライマックスのない平坦な物語に肩透かしを食らったのだろう。
確かに、この映画には近年の作品とだけ比べてみても”チェンジリング”のように胸をえぐられるほどの悲惨な事件とそれを真正面から受け止めて戦っていく人間の尊厳を讃える歌はない。
グラン・トリノ”のように確固たる決断を持って死を受け入れる老人のまなざしとそれを受け継いでいく若い命のしなやかな色彩もない。
さらには”インビクタス”のように他者をそして自分自身を信じ抜いた果てに勝ち取る確かな名誉も賞賛もない。
ここにあるのはそれぞれが少しずつ何かを失って、それぞれがほんの少し何かを分け合っただけの小さな物語。
だというのにエンドロールがせり上がり、密やかなギターの音色が聞こえるだけでここまで心が豊かになるのはなぜか。
それはこんな平坦な物語こそが僕のそしてあなたの人生の大半だからだ。
決して大津波や霊能力や身近な人の早すぎる死を些細でありふれた出来事だと言っているのではない。
そんな非日常的で劇的な瞬間の後に待つ不変かつ冷静な世界との対峙。そちらの方こそが本来は僕たちの人生の根幹にあたるのではないか。
最後のシーン。少しだけ華やかな舞台で小さな花のつぼみが慎ましく開かんとする。
これこそが何よりのクライマックスで、これこそが何より美しい人生の一幕だ。
物語の導入部が奇をてらっているからこそ、最後まで気品高く作品をまとめ上げることで最終的には人間を丁寧に描ききった監督の手腕に今回も賛辞を送りたい。