上戸うどん

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「あとは好きにしてくれぃ!」
お目当ての日の出さんと一年ぶりの邂逅を果たした筆者にはもはや思い残すことはなくこの先の全てをうどんマスター に委ねていた。
助手席に深く腰掛けて横柄極まりない筆者。
そんな筆者に構う素振りすら見せずギュッとハンドルを握りしめているうどんマスター。
彼の頭の中にはあるひとつの決意が去来していた。
「次は上戸へ行こうと思います」
いつもの朴訥とした口ぶりは変わらずともその言葉の裏に見え隠れする熱を見抜けない筆者ではなかった。
にも関わらず筆者は反射的にこう応えていた。
「えええ、まじでぇ!?そこはいいんじゃね?」
つい数秒前に「あとは好きにしてくれぃ!」と偉そうに告げたばかりの男がこの台詞である。
しかしながらこれにはそう反応してしまうに足る理由がある。筆者の名誉のためにもここではその理由を話しておこう。
それは一年前。今回と同じく日の出製麺所を制覇した我々は次の目的地に上戸を定めていた。
日の出さんのある坂出市からほぼ愛媛との県境にある上戸までは距離にしておよそ40キロ。
到着には小一時間ほどを要することもありうどん行脚を行うものにとってはスケジュールに組み込むことが躊躇われる店と言える。
「でもここのうどんは本当においしいんですよ!そしてあのコシ!あれを味あわずしてさぬきは語れません!」
それでも前回うどんマスターがこの店をチョイスしたのは全て彼のうどん愛のなせる業だった。
さらに彼がここまで上戸に入れ込むのにはもうひとつの理由が。
「で?お前上戸に何勝何敗だったっけ?」
「えー、あれ?何敗してたかな?あの、確実なのは一勝しかしていないということです」
行けども行けども門扉が固く閉ざされたままの上戸さん。
ちなみに筆者も一敗くわされ済み。うどんは一杯も食わされていないが。
「いや、でもあのコシは絶体に経験したほうがいいですよ」
何を言ってもうどんマスターの決意が揺らぐことはないことくらい分かっている。
「さーて前回はインフルエンザで休み。今回は肝炎にでもかかってるかな?」
筆者は不謹慎極まりない悪態をつきながらうどんマスターの熱意を尊重することにした。


時計はようやく正午を回り、既にこれまでに4軒のうどん屋を制覇した車内にはまったりとした空気が漂っていた。
上戸までの道のりがうどん行脚において困難なのはインターバルの長さ故勢いを削がれてしまうところにある。
一日で多くのうどんをかっこむのであれば満腹中枢が刺激されるまえに勝負を決めたいところ。
「うーむ」
これまで弾んでいた会話も今では途切れがちで車はただ淡々とガソリンを燃焼させて進んでいく。
しばしの間隙。
しかし我々の右側に海が見えれば上戸まではすぐそこだ。
「あー。なんか緊張してきました」
「ははは。これでまた休みだったらどうするよ?」
「‥‥‥。」
不幸なことは例えそれがifでも考えたくない。うどんマスターの表情は悲痛なほど切迫していた。
緩やかなカーブを滑りながら我々は車の中からでもお店を視界に捉えられる距離まで。
さあ!果たして我々は念願かなって上戸さんの暖簾をくぐれるのか。
気になる結果はCMの後!!






臨時休業て。

うどんマスターは白く燃え尽きていました。
さようなら上戸さん。
さようならうどんマスター。