言葉にできないのは小田和正だけにして

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1970年の大阪万博、その中心として作られた太陽の塔に関する文献「岡本太郎太陽の塔」を読んだ。


岡本太郎と太陽の塔 (小学館クリエイティブビジュアルブック)

岡本太郎と太陽の塔 (小学館クリエイティブビジュアルブック)


総入場者6421万8770人。
未だ万国博総入場者の最高記録を誇るこの途方もないプロジェクトのテーマ館プロデューサーという大役を岡本太郎が引き受けたのは万博の始まるわずか3年前。
そのわずかな時間の中で今だに人々の記憶に強烈な印象を残す展示を作り上げ、本当ならば万博の終了とともに撤去されるはずだった太陽の塔を現在まで残る作品として完成させたという事実はもはや驚嘆などという脊髄反応では充分に受け止めることができないため奇跡という言葉に今一度ほんとうの意味を取り戻してもらうほかない。
しかし、なぜ太郎だけがこんな奇跡を起こすことが出来たのか?
その答えは太郎自身の言葉が何より明快に物語っている。


それは太郎が万博のテーマ館プロデューサーを引き受けるか否か逡巡していたころ、総合プロデューサーの丹下健三を中心に先行して制作が進められていたシンボルゾーンを覆う巨大な大屋根の模型を見たときだった。
太郎は目の前に置かれた、彼自身の表現で言うところの”壮大な水平線構想”の模型に抑えきれない衝動を覚えた。

優雅におさまっている大屋根の平面に、ベラボーなものを対決させる


この「ベラボーなもの」というおよそ芸術とは無縁としか思えないおおざっぱで下品な言葉。
しかしこの強烈で明確な言葉を手にしたことで太郎はあのベラボーな塔を作り上げることができたのだ。



実際に目に映るオブジェクトに限らず空間や音楽までを含めた芸術を作る際、僕はそこに作り手の表現したいことがあると信じている。
しかしどうだろう、美術館などに行って「これは」と思う作品に出会う。いや、「これは」と思えるならまだましで、中には「うん。それで?」と首をかしげたくなる作品に出合うことも多々ある。
そんなときパンフレットを見たり、近くにいる係の人にたずねたりしてこれはどんな意図を持っているのかを理解しようとするが、そんな作品に限って受け手の自由に任せたいとか言って作者が作品の言語化を拒むことが多い。
僕はそんな芸術家を非常に不誠実だと思う。
それは鑑賞している我々に対しての不誠実であり、自らの作品に対しての不誠実だ。
本当に伝えたいことがあってつくったものであればどうしてそれをどんな手段を使ってでも伝えようとしない?
「言いたいことは作品に込めた」という理屈は反論の余地を抹殺するように聞こえるが僕はそうは思わない。
僕が欲しいのは1から10まで揃った完璧な説明ではなく、作品の根底にあるべき一片の言葉なのだから。
あのとてつもない太陽の塔を「ベラボーなもの」という言葉で始めた岡本太郎はだから凄いのだ。