お盆のはなし

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お盆です。
いまさら別に誰に言われなくとも御存知かとは思いますが、もう一度言います。
お盆です。
慣習なんてものは別に理屈として理解していなくても実行さえすればそれでいいとは思いますが、お盆の話をします。


その昔、お釈迦さまの10大弟子といわれる人たちの中に目連という人がいました。
目連は神通第一といわれ自分が過去にどんなことをしたのか、そして自分の今いる人間界だけでなく、そのほかの例えば極楽や地獄などの様子を見渡すことのできる力、すなわち神通力を持っていました。
その目連があるとき亡くなった自分の母親が一体どこの世界で何をしているのかをのぞいてみました。
まずは仏様たちの世界から。いたるところくまなく見てみましたが母親は見つかりません。
それから当然ながらもう人間界にはいませんから、その下の阿修羅へ、しかしそこにもさらにその下の畜生にも見当たりません。
もしやと思い次に餓鬼の世界へ目をやるとなんと母親は食べものも飲み物も満足に与えられない世界で”さかさまにぶら下げられる”ほどの苦しみを味わっていました。
話がすこし逸れますがこの”さかさまにぶら下げられる”というのをサンスクリット語で”ウラバンナ”と言ってこれを音写語(意味ではなく音に合わせた漢字)にしたものが盂蘭盆会、そしてこれがいま私達が”お盆”と呼んでいる行事の語源になります。


閑話休題
自分の母親が餓鬼の世界で苦しんでいることを知った目連はなんとか母親を助けてあげたいと思います。
しかしいかに神通力の持ち主とは言え他の世界へ行くことまではできません。
目連は釈迦に相談をします。
「お釈迦さま、いま私の母が餓鬼の世界で苦しんでおります。どうしたら助けてあげられるのでしょう」
「目連、お前の母親はこの世に生きている間に人に施すということを知らなかった。その報いでいまお前の母親は餓鬼の世界に行き着いてしまったのだ」
目連は落胆します。しかし釈迦はここから話を続けました。
「しかし母親が他のものに施しをしなかったのはひとえに目連、お前のためなのだ。かわいい我が子に美味しいものを食べさせたい、ひもじい思いをさせたくないという親心がお前の母親から施しの精神を奪ってしまったのだ。目連、つまり原因はお前自身にある。だからこそいまお前が母親に代わってお前の母親が出来なかったことをすれば、あるいは母親を救えるかもしれない」
目連は目の覚める思いでした。
そうか母親は僕のために苦しみを背負っているのだ。ならば僕が母親の分まで人々に施しをしよう。


当時、インドでは3ヶ月の雨季の間、修行僧は外へ出ることは禁じられていました。
雨季の間に植物は芽を出し小さな虫や動物達は外へ出てきます。
それらを無意識とはいえ踏み潰したり殺したりすることを避けるためです。
これを「安居(あんご)」と言います。
雨季は4月の15日から7月の15日と決まっています。これは今の私達の暦で言うお盆の時期に当たります。
すなわち安居の終わる時期にお坊さんたちは外の世界へ宗教活動をするために出て行くのです。
目連はこの安居の終わる時期にお坊さん達へ着る物食べ物全てを与えました。そのおかげで彼らは宗教活動に専念することができました。
目連はさらに余ったものを全て着る物食べるものを困っている人たちにも与えました。
やがて施しを終えた目連はもう一度神通力で母親の様子を見に行きました。
まず餓鬼の世界。なんとそこに母親はいません。
畜生、阿修羅、どこを見てもいません。そして人間界にはもちろんいませんからそのままずっと上の世界へと目をやります。
すると西方極楽浄土の蓮の池、その中に咲いた蓮の花の中でにこやかに微笑む母親の姿を見ました。
目連は飛び上がって喜んで、喜びのあまりそのまま踊りだしました。
目連があまりに嬉しそうに踊っているのをみて他の弟子達も一緒に踊りだします。
ちなみにこれが今の盆踊りのもとになっています。


長くなりましたがこれがお盆の起源です。
一年にせめて一度くらいお墓に行って先祖に思いを馳せる。素晴らしい習慣です。
けれどそこからもう一歩踏み出して、他のものに何かを与えることが出来るときっとご先祖様はさらに喜ばれるでしょう。
布施は決して物である必要はありません。
布施には無財の七施といってお金持ちでなくとも与えられるものがあるのです。
笑顔でだれかに優しい言葉をかけてあげる。これを言施(ごんせ)と言います。それだけでいいのです。
他の誰かを労わる。それによって御先祖様が幸せになる。お盆とはそんな素敵な習慣です。