悪気はないんだよね

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猛烈に尿がしたかった。したかったからもちろんトイレに行った。古めかしいビルの中にある小さくさびれたトイレ。「引」と書かれたドアを思い切り押して僕は階段を上った。階段に終わりが近づくと目線の先にトイレが見える。いつも使用者がいないときは真っ暗なトイレに今日は明かりが灯っている。ちょうど掃除のおばちゃんが掃除を終えてでてくるところだった。
「もう大丈夫っすか?」と聞く僕におばちゃんは「えぇ大丈夫ですよ」と答えた。そして僕達はすれ違う。その時おばちゃんは確かに言った。「お邪魔してすいませんでしたね。どうぞごゆっくり。」確かにこう言ったのだ。
僕は「丁寧なおばちゃんだなぁ」と少し感心すると、そのまま便器の前に立ちベルトに手をかけた。背後ではおばちゃんが閉めたドアがギィと音を立てた。そしてその瞬間あたりが真っ暗になった。思わず僕は振り返ったがそこにはもう持て余した勢いで小さく揺れるドアしかなかった。
おばちゃん、いつもの癖でトイレ掃除終えて電気消しちゃったんだよね?
つい3秒前に僕に投げ掛けた言葉も、僕の存在もいつもの習慣には勝てないってことなんだよね?
ねえおばちゃん、悪気はないんだよね?
あのあと若干しずらかったよ、僕。そしてなんだかとても寂しかったよ。
最後に一言だけ。おばちゃん、今度会ったときは優しい言葉なんてくれなくていいよ。だってそんなのツライだけだから。