共産主義者になるまで帰れま10! なコーエン兄弟作『ヘイル、シーザー!』
日差しは強くても日陰に入ると割りと涼しかったり、洗濯物はすぐに乾いたり、気候的には最高の時期ですね。
日中はいいんですけど日が沈んでくると半袖ではちょっと寒いので着るものの調整には気をつけて風邪など引かないよう気をつけましょうね。
今日はこの映画を観てきました。
*画像はimdbより
ジョエル&イーサン・コーエンの兄弟による監督作『ヘイル、シーザー!』です。
いきなり結論から言うと、近年のコーエン兄弟監督作では出色の出来でしたね。と言いつつ近年の作品を振り返ってみると13年に『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』があってその前が10年の『トゥルー・グリット』ってどちらも大好きな作品だったので厳密に言うと、コーエン兄弟のコメディサイドの作品としては久々の快作だと思います。
アメリカでは09年公開、日本では11年に劇場公開された『シリアスマン』は不条理劇としてよくできていると思うのですが、いかんせんユダヤ教の基礎知識がないとなかなか面白さが掴みにくくて難儀でしたし、『バーン・アフター・リーディング』は作品のテーマ的にはコーエン兄弟っぽさが爆発している重要作かもしれませんが、ことコメディパートについては上滑りしていてちょっと笑えなかったもので、今回の『ヘイル、シーザー!』がまずコメディとして文句無しに面白かったのが嬉しかったです。
何度も笑いが巻き起こる劇場ってのはそれだけで気持ちが良いもので、自分もその笑い声の一部であればなおさらです。
ただ、周りは特に笑っていないのに自分的にはたまらなく笑えてしまうところもあって、それがここです。
*画像は公式サイトより
画像だとちょっとわかりづらいかもですが、チャニング・テイタムです!
実はこの人が出演していることをすっかり忘れていたというもあって、出てきた時に思わず『今年公開されたある映画』で彼が不意に登場した時のことが重なりました。それで思わず笑ってしまったというのもあるのですが、なんでしょうね、このひと明らかに『21ジャンプストリート』を経て一皮も二皮も剥けたような気がします。
彼自身はいたって真顔というのがいいんですよね。あからさまなコメディ演技ではなくもはや存在自体におかしみがあるというのが個人的におもしろくてたまりません。
ちなみに『21〜』でコンビを組んだジョナ・ヒルも今作に出てきます。彼もまた出て来るだけで無条件に好きになってしまうタイプの俳優ですね。今作での出演時間は少ないのですが、それでも凄まじい存在感と、そしてある展開でしっかり劇場をロックしていました。
映画の内容はなかなか日本人には馴染みのない話で、1950年代にハリウッドを震撼させた赤狩りが重要なテーマになっています。
これについては予備知識として町山智浩さんのこちらを聴いておくとだいぶ違うと思います。
町山智浩 映画「ヘイル、シーザー!」&「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」【たまむすび】2016年4月12日
時の上院議員マッカーシーによる赤狩りによってハリウッドの重要なクリエイター達が職を追われたり、保身のために仲間を売ったことで名声を落としたりしたことは知っていますが、ハリウッド・テンと呼ばれた人々のことは寡聞にして知りませんでした。
ただ、赤狩りを題材に取るとどうしても弾圧された側を悲劇のヒーロー的に描きがちになるところをこの映画はあくまでフラットに、なんならハリウッド・テンがやや滑稽に見えるくらいの距離感を保っていたのは好感を持ちました。
マッカーシズムが非難されるべき思想弾圧であったことに異論はありませんが、共産主義を掲げた国の体制にも問題があったことは事実ですしね。
ハリウッド・テンに誘拐されて次第に共産主義に傾倒していくハリウッドスターにジョージ・クルーニーを持ってきたキャスティングの妙もまたこの映画の素晴らしさです。なんてったこの人、マッカーシーと対決したエドワード・R・マローの話を『グッドナイト&グッドラック』という映画で自ら監督してるような人ですからね。
まあ、ここらへんの背景は知っている方が楽しめるとは思いますが、そうでなくても豪華なキャスティングに見事なコメディ演出の組み合わせを期待していくだけでもハズレはないと思います。
いやぁ、ほんと好きですこの映画。
当たった!
今日はちょっと良いことがありました。
6月25日に開催されるXmas Eileen Presents暁ロックフェスのチケットが取れたんです。
くじ運の悪さには自信のあるボクですが抽選に当たりましてね。
おそらくほとんどの人が当たっているんでしょうけど、それでも当選メールが届くのは気持ちが良いものです笑
これで先月のZeppワンマンから5月6月と3ヶ月連続でDragon Ashのライブを観られることになります。
最近はライブで聴く『For divers area』への渇望が強くてですね、これでしばらくやっていけそうです。
ただ正直言うとこのイベントを主催するXmas Eileenのことは今回はじめて知りまして……。この機会にさっそくYouTubeに上がってるビデオでいくつか曲を聴いています。
この曲なんかはライブ映えしそうで、ちょっと楽しみだったりします。
残り二組まだ未発表のアクトがいるのでそれが誰なのかも楽しみではありますが、とりあえずDAをまた観られる機会が増えたことが嬉しかった今日なのでした。
これが吊り橋効果か! またはストックホルム・シンドロームな映画『ヴィクトリア』感想
ここのところ慢性的に首から肩にかけて寝違いのような状態が続いています。机と椅子のせいなのかなと思うのですが、会社でも自宅でも特に環境を変えたわけではないので不思議。
そんな中で今日はとある映画を地べたに座って鑑賞したものだからいつにも増して首の張りを感じます。この映画についてはひょっとするとまた感想書くかもしれませんが今日は別の映画について。
『ヴィクトリア』というドイツ映画の感想いってみましょう。
*画像は公式サイトより
上に貼った画像にデカデカと書かれているので説明の必要もないかと思いますが、この映画のウリはなんといっても全編ワンカットで撮影されているところです。
こういう手法の映画、有名どころではヒッチコックの『ロープ』があったり、近年ではアカデミー作品賞を獲得したイニャリトゥ監督の『バードマン』でも変則的な形であれ取り入れられています。
ただワンカット撮影というキーワードだけで今作と上記の映画を関連付けるのはちょっと違うと思っていて、むしろ撮影手法に関して言えばボクはこちらの映画に近い印象を受けました。
映画『サウルの息子』予告編 アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
今年のアカデミー外国語映画賞を獲った『サウルの息子』です。
どちらの映画もスクリーン上の情報量を絞って撮影されていて、観客は主人公目線を半ば強要される形で映画を追いかけることになります。『ヴィクトリア』はそこにワンカット/リアルタイム演出を加わえたぶん『サウルの息子』以上に疑似体験映画としての機能が強い作品と言えます。
それではいったい観客はなにを疑似体験することになるのか。それはズバリこういうことでしょう。
【140分でガラリと変わる人生のダイナミズム】
主人公のヴィクトリアは3ヶ月前にマドリッドからベルリンへ越してきたばかりで友達もできず孤独な日々。その孤独で退屈な日々に終止符を打つ夜を観客は疑似体験することになるのですが、その内容がなかなか面白くてですね、詳細は観てのお楽しみということで参考までに似たような感覚を持った映画を挙げておきます。
リチャード・リンクレイター監督の 代表作『ビフォア・サンライズ』とアメリカン・ニューシネマの傑作『俺たちに明日はない』です。
どうしたらこの2作を並列にできるのかと自分でも思いますが、今作は見事にこの両極のエッセンスを混ぜ合わせられていると思います。
というかですね、ボクは映画が始まってしばらくした時に制作者がワンカット撮影を選んだ理由は『ビフォア〜』シリーズが活用したあの手法をさらに突き詰めるためなんだと合点がいったんです。無軌道で無目的な若者たちの気怠いのだけれど、でもそれこそが心地よいオールナイトの狂騒というあの感覚を味わうのなら映画の時間軸がリアルタイムと同期しているというのは物語的な必然性に満ちているなあと。
ところがこの映画はそこから思いもよらぬ展開に転がっていくんですね。今作を観た人の中にはきっとこの展開、具体的に言うとヴィクトリアの選択、を理解できない人も多いと思うし、そう思ってしまうのもムリはない急展開ではあります。
ただ、そこに彼女の心情を慮る補助線として『俺たちに明日はない』があるんです。
つまり、心の何処かでこのくだらない日常をぶっ壊してくれるなにかを待ち望んでいたヴィクトリア、その目の前にそのなにかが現れた。なにか危険な香りがすることは明らかでも、このまま日常に埋没していくくらいなら飛び込んでやろうと、まさにボニー的な跳躍を彼女は果たしたわけです。
吊り橋効果というのは人がなにか緊張を強いられる経験を誰かと共にするとその相手に通常より強い結びつきを感じるというものですが、この映画を観ると「これが吊り橋効果か!」というのがはっきりわかって非常に面白いです。
わずか1時間前にはなんの関係もなかったふたり、その関係性の変化っぷりを味わう意味でもワンカット撮影は必然性があるなあと思いましたね。
ただ映画が終盤に向かうにつれて徐々にこれは吊り橋効果というよりストックホルム・シンドロームなのでは、と思うに至るところなんかはちょっと怖かったですし、そこもまたボニーアンドクライド的だったりしますね。
ついつい撮影手法に話題が行きがちな映画ですけど、参考作品としてあげた2作からも分かるようにキャラクターの心情描写の巧さ、男女の会話劇としてのクオリティなんかもじゅうぶんあって見応えがある作品なのではないかと思います。
黒田清輝展に行ってきました
お昼ごはん食べに外へ出たらちょっと肌寒いなと思ったんですが、ここ数日が暑すぎたんですよね。感覚が狂ってます。
GW狭間の金曜日に天気が崩れて週末にはまた暑くなりそうなんて、空模様はなかなか気の利いた演出をするものですね。
今日はサクッと仕事を切り上げて上野へ行きました。
目的は東京都美術館で大絶賛開催中の若冲展を観るため、だったのですが! 夜ならさすがに空いているだろうという目論見はもろくも外れて人・人・人の大行列。それでも昼間に比べれば短い待ち時間なのでしょう。とは言え閉館時間の20時まで30分もないときに入館してもなあということでチケットだけ先に購入して急遽予定変更。
すぐ近くの東京国立博物館にてこちらも絶賛開催中の『黒田清輝展』に行ってきました。こちらも行かなきゃな〜と思っていたので全く問題なし! で、なんなら内容もすっごくよかったので結果的には大変良い予定変更となりました。
黒田清輝というと美術の教科書で必ず取り上げられる日本人画家なんていう説明が一般的なようですが、こと自分に照らし合わせるとまったく記憶に無いんですよね。当然、彼が日本における西洋絵画の道を切り開いたことも知らなかったし、『湖畔』や『読書』などの代表作にもまったく馴染みがありませんでした。
それがどうして黒田清輝に興味を持ったかといえばご多分に漏れず過日タマフルでやった特集を聴いたからに他ありません。
それを踏まえて鑑賞したこともあってか入り口すぐに展示されていた『婦人像(厨房)』を観て「そんなに下手じゃないじゃん」と思ったのは大変失礼な話。
展示会では彼の写生帖なんかも展示されているのですが、そこにササッと描かれた人物デッサンなんかを見るとそりゃ上手いです。ただ風景画はあんまり強くないかな。どちらかと言うと人物造形に長けている人なのかなという印象を受けました。
この展覧会は黒田清輝の膨大な作品を展示するのはもちろんのこと、彼が師事したラファエル・コランの画や、彼が影響を受けたとされるミレーなど有名画家の画なんかも展示されていて実はめちゃくちゃ見どころがあります。
特にコランの画は黒田清輝と向かい合いで展示されており、それがため黒田清輝には酷なことなのですが「さすが師匠!」と気がつけばコランの作品ばかり熱心に観ることになりました笑 (ミュージアムショップでも本当はコランの画が欲しかった)
とは言え黒田清輝がフランスを離れ日本に戻ってきてからの作品には確実に彼のアイデンティティが備わっており、技術の高低だけでは測れない魅力を発揮していました。つまり西洋画の技法や表現形式を日本の風土や景色の中にいかに応用していくのか、この部分にこそ黒田清輝の本領があるように感じました。
そこで出て来るのが『湖畔』であり『舞妓』という彼の代表作ですね。ただ、個人的には作品番号156の『野辺』にいちばん目を奪われました。
上述した師匠コランが描く画を黒田清輝にとってひとつの理想と捉えるのならば、その理想を彼が実現できたとは思えません。あまりに表現力が違います。ただこの『野辺』において黒田清輝はコラン的な題材、コラン的な表現をベースにしつつもコランとは確実に違う表現を獲得したように感じました。敢えて言えばそれはファンタジー対リアリティーで、黒田清輝の描く生々しい女体がとても良かった。
閉館まで時間がなくて終盤を少々駆け足で観ることになったのは残念なのですが、各時代ごとにテーマをもった展示が施されており最後まで興味深く鑑賞することができました。
展示会終了までもう時間も限られていますので、もしまだ行かれてない方がいらっしゃいましたらぜひ足を運んでみると良いかと思います。
いやーほんと思い出すだに素晴らしい展覧会でございました。
その時、歴史が動いた。香川うどん巡り2016 2日目
香川ストロングスタイル
Beautiful, Loved & Blessed
ニュースを知ってリアルにその場でへたり込んでしまいました。
今日は世界中のたくさんの場所で彼の曲が流れていることでしょう。
ボクもそのひとりです。
TAMAR DAVIS FT PRINCE BEAUTIFUL,LOVED AND BLESSED
安らかにお眠りください。