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いま最もハズさない東海テレビドキュメンタリー劇場からまたも傑作の誕生!映画『神宮希林』 

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レーベル買いという言葉がある。

これは主に音楽を購入する際に、その作品がいったいどのレコード会社(レーベル)から発売されているのかを判断基準に購買決定をすることを言う。

例えば、インディ・ロックであればラフ・トレード、ダンス・ミュージックならワープ・レコーズなどはレーベル買いの対象としてよく名前が上がるレーベルだ。(今はどうか知らないけれど一昔前は確実にそうだった)

さらに、ちょっと前に見たタワレコのポップにはこうあった。

『エドバンガーにハズレなし』(エドバンガーはフランスのレーベル。ちなみに例のポップはbreakbotのもの)

この言葉がレーベル買いの何たるかをよく表わしている。

 

つまりレーベル買いはレコード会社がファンから全幅の信頼を置かれている証拠であり、それだけのクオリティを持った作品を供給してきた実績があるという証明だ。

 

翻って映画業界に置き換えたとしてそのようなレーベルがあるか。

ボクならこう答える。

MARVELがあるじゃないか。

少なくともここ1,2年のマーベル・スタジオズ製作映画のクオリティについて異論を挟む映画ファンは少ないと思う。

 

特に『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』はただのハリウッド・アクション超大作なんて範疇に収まらない、ポリティカル・サスペンスものとしても超1級品の大傑作。

「莫大な製作費を投下すればよほどの素人じゃなければあんなもの作れるさ」なんてレベルを超えている。エンターテイメントの何たるかを熟知したエキスパートたちの矜持が詰まったとても素晴らしい作品だった。

まさに『MARVELにハズレなし』だ。(ウルヴァリン:SAMURAIのことは忘れろ!)

 

しかし多額の予算があり、世界的に大人気のキャラクターをたくさん持っているMarvelが『ハズさない』のはある程度納得の結果だ。

それでは他にレーベル買いを推奨できる製作会社はあるか。

 

ある。

それも日本に。

そしてそれは厳密に言うと映画会社ではない。

 

東海テレビ

愛知・岐阜・三重の東海三県を股にかけるテレビ局。この地方放送局が作るドキュメンタリー映画こそいまもっとも『ハズさない』と太鼓判を押すにふさわしいとボクは思っている。

 

その東海テレビドキュメンタリー劇場から、ボクの思いを確信に変える作品が公開された。

それが『神宮希林 わたしの神様』だ。


映画『神宮希林 わたしの神様』予告編 - YouTube

 f:id:myrisingsun:20140609004420j:plain

映画は樹木希林さんの留守電の声で始まる。

希林さんがマネージャーを付けずに仕事の依頼は全て留守電とファックスだけで受け付けていることは業界では有名だそうだ。

この留守番電話の内容がすごい。

希林さんの声が手短に返事は電話でする旨を伝えると最後にこう付け足すのだ。

 

「映像の二次使用はご自由に」

 

さすが内田裕也の妻と言うべきか、まさにロッケンロール!!な姿勢である。ちなみに今作ではちょっとだけ内田裕也氏も出てくるのだけれど、その部分は全部最高なので、本筋とは直接関係ないけれど、ボーナストラックとして楽しむことが出来ます。

 

それにしても、この留守電で映画を始めるというアイデアは本当に素晴らしい。

通常、映画というのは本編が始まってなるべく早い段階でツカミを入れることが求められている。そのツカミによって観客を映画の世界に引き込むためだ。

その点、今作は始まって5秒でツカミはOK!なのだから、こんなに理想的な始まり方はない。

そしてこの始まりが素晴らしい理由はもうひとつあって、それは、この留守電によって樹木希林さんとはいったいどういう人なのかを端的に説明できるということだ。

樹木希林さんのことを知らない人はほとんどいないと思うけれど、その人となりはどれくらい認知されているかと言うと、これはわからない。

映画やドラマの中で、ちょっととぼけた感じの役をやっているところしか見ていない人にとっては、カワイイおばあちゃんくらいの認識で止まっているかもしれない。

そういう希林ビギナーも含めた観客全員に「はい、今から登場するのはこういうぶっ飛んだ人なんですよ〜」という説明を一発で済ませてしまうのだから、このオープニングが素晴らしくないわけがない。(希林さんのロッケンロールっぷりについてはプロインタビュアー吉田豪さんのレポートをチェックされたし)

 

 そんな人が20年に1度の式年遷宮を控えた伊勢神宮を訪れるとなれば、この映画が『いい旅・夢気分』で終わるはずがない。

そんな、樹木希林だけはガチ!を体現するシーンがある。

 

とある伊勢うどんのお店での一コマ。

お店の主人と談笑し、伊勢神宮にまつわる話などを聞き出している希林さんに、お店の女将さん(希林さんと同年代かちょい上)が話しかけて、地元の祭事で使う法被をプレゼントすると申し出る。

しかしここで希林さんはこの申し出にきっぱり「いらないわ」と返したからさあ大変。お店の女将さんも言い出した手前「はいそうですか」とすんなり引き下がれなくなり、「もらえ」「もらわない」と互いに譲らず突如として和やかな神宮参りドキュメントが、本来であれば明らかに不必要な緊張感でいっぱいになるのである。

別に「まあ、嬉しい。ありがとうございます」くらいに言ってとりあえずもらっておけばいいじゃないかと思ってしまうわけだが、自分がもらってムダにしてしまうよりも、それを必要としている人、本当に使用する人の手に渡る方がいい、と希林さんの真意はこれで当たらずとも遠からずだろう。この希林さんの理屈は至極当然で正しい。

でも、正しいことを言うことが正しくないことが多いのが世間というもので、それが田舎という共同体の繋がりが強いところならなおさらそうだと、地方出身の身にはよくわかる。

 

このシーンになぜ伊勢神宮樹木希林という組み合わせだったのかという意図があるような気がした。そんな礼儀や建前が尊重されるムラ社会に荒波を立てていく希林さんという構図は大変に楽しいからだ。

でもこれはこの映画の表層的な部分でしかない。

 

真に希林さんの存在によって浮かび上がるものは、この映画の主役である伊勢神宮、引いては連綿と受け継がれてここまで来た日本の歴史そのものの重みだ。

それは内宮に入ってからの希林さんの振る舞いがよく表わしている。

あれだけ世間の常識を気にしない希林さんが、ここでは驚くほど素直に『しきたり』通りに一つ一つの鳥居で丁寧に頭を垂れ、話に夢中になる余り鳥居を素通りしてしまった時にはわざわざ戻ってまで一礼をかかさないのだ。

 こういうシーンの積み重ねによって観客は間接的に聖なる場所の持つその聖性や神の存在をスクリーン越しに感じていく。そこには理屈を超えた『何か』があることを理屈を行動原理にする樹木希林さんを媒介にすることで強烈に思い知らされるところに今作の肝があるように思った。

 

 遠い昔、ギリシャの人々はアポロン神殿にデルフォイの信託を求めに訪れた。そこに目に見える神様はいなかったけれど、代わりに巫女が自らの身体を通してお告げを伝えたそうだ。

この映画における樹木希林という人はこの巫女のようなものではないか。

その証拠に観客は10月に遷宮を終えたばかりのお伊勢さんで偶然と呼ぶにはあまりにも出来過ぎた光景を見ることになる。もちろんその時そこにいてカメラが写していたのは、誰よりも正直で合理的で、それでも目には見えないものへの敬意は忘れないチャーミングな女性だった。

少なくともドキュメンタリーの神様は、あの日、あの場所に、いた。

 

ああ、やっぱり東海テレビのドキュメンタリーはハズさないわ。

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過去に見た東海テレビドキュメンタリーの感想文もよければぜひ。

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