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不良日記 百瀬博教

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「読書随時浄土」


この言葉にぶっ飛んだ。
秋田の獄(原文ママ)で6年の歳月を過ごす間、大学ノートに読んだ本の感想や日記を記していた百瀬さんがノートの表紙に書いていた言葉だ。
28で収監されるまで読書は女のするものだと思っていた百瀬さんはそこから膨大な数の文章を読み漁り言葉を獲得していった。
ぶっきらぼうな中に滲み出る男の色気とロマンチシズムに同じ男なら酔わずにはいられない。


ひとつめのお話である『拳銃と詩』の冒頭部を読んだ時、大げさではなく自分が心ごと文章に吸い込まれていく感覚を味わった。
読み進めると、これは百瀬さんが『不良日記』以前に上梓した短編小説『僕の刀』の冒頭部であると言う。
この小説は浅草キッド水道橋博士のサイン会で百瀬さんの話を切り出した時に「ぜひ読んで」とオススメいただいたもの、まさにそれだった。
ちなみにその時、博士には「僕の刀という小説が収められている『キヌバンテ』がおすすめです」と教えていただいたので、その場ですぐアマゾンアプリから検索するもなにもヒットせず、苦労の末にそれが『絹半纏(キヌバンテン)』であることを突き止めたというエピソードあり。これはすでに購入済みなので次に読みたいと思う。


ここまで何の説明もなく百瀬さんなどと書いているけれどこの人のことを知っているひとがどれくらいいるのだろうかと思う。
僕も決して詳しいわけではないけれど、百瀬さんにまつわる逸話を聞くたびに男が惚れる男とは?という問の答えがここにあると確信する。
気になった人はぜひ各自で調べてみてください。


最後に『陸沈次第』というお話の冒頭で引用されていた文章を孫引きする。
百瀬さんが自分の獄中ノートから引っ張り出してきた文章を誰かが繋いでいく。そうして影響はいつまでも絶えることがない。



紀元前三世紀頃の中国の後漢時代の思想家王充の言葉に「古きを知りて今を知らざる、これを陸沈という。今を知りて古きを知らざる、これを盲瞽という」というのがあります。
歴史を知って現実を知らないものは、陸沈、陸上での溺死だ、現実を知って歴史を知らないものは、盲だ、というわけです。昔はよかったとか、今の若い者は、等という言葉が、しきりに口に出るようになったときは、そろそろ陸沈、陸上での溺死の危険性があるという、赤信号とはいかないまでも、黄信号が出たということになりそうです。
また、過去なんてどうでもよい、今さえよければというのでは、歴史を否定し、盲瞽の類に入りそうです。
歴史も知らず、現実も知らずということになると、生ける屍ということになりそうです。私達の国家、社会が陸沈した者と盲瞽の者ばかりということになれば、両者の間の断絶は埋めようもなく、その間に橋のかけようもなく、その国家社会の将来は衰亡以外の何もないでありましょう。


ちょうど昨日話題になった「シニアの「三丁目の夕日は幸せだった脳内変換」はたぶん一生治らない」もあったので自戒の念を込めて。