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Seediq Bale

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映画「セデック・バレ
監督:ウェイ・ダーション
主演:リン・チンタイ



1930年、日本統治下の台湾で起きた霧社事件を元に台湾史上最大のスケールで作成された映画セデック・バレを見て来ました。
台湾で起きた〜、なんてしたり顔で書いてますが実のところ僕はこの事件のことを今回初めて知りました。
映画の存在自体は知っていました。この映画が本国台湾でちょうど公開された直後(2011年9月)に台湾へ行ったときのこと、現地の方と話をしていると「いま台湾でとても大きな映画が公開されています。日本人もたくさん出ています」とこの映画のことが話題になったのです。ただそのとき彼女の口から「日本人がとてもひどいことしました」という言葉がでた瞬間になぜか僕はこの話題をそれ以上は広げなかったし追いかけませんでした。
なぜそうしたのか。もっともらしい理由を言えば仕事相手の人とその手の話はすべきでないという社会的なお約束があったからでしょうか。不得手な日本語で話してくれている人を相手に複雑な話をしても仕方ないと思ったのかもしれません。
でもそうじゃなかった。僕はその事件のことを知らなくてきちんと日本からの視点で話をすることができなかったし、いつも僕にとても親切にしてくれる台湾の人から「日本がひどいことをした」という言葉が出たことが信じられなくて、その発言を無かったことにしてしまいたかったんです。
あれから1年半。ようやくこの映画を観たことで少しはその時の自分を受け止められるようになりました。
だからちゃんとここで言葉にします。



映画は主人公であるセデック族の青年モーナ・ルダオが初めての”出草”を行うところから始まります。”出草”とはセデック族の伝統で首狩りを意味しています。彼らは首狩りを行うことで一人前の大人として認められる。さらに首を狩った勇者は死後に虹の橋を渡って祖先と共に暮らせるという信仰がありました。
この伝統と風習、そして信仰が映画の肝であることは明白です。
日本の統治下で土地を奪われ、搾取された彼らはある事件をきっかけに反抗を開始します。それが霧社事件で、この事件では134人の日本人が殺害されました。(後に重傷者等3名が死亡)
このセデック族による日本人襲撃の描写はかなりショッキングです。多くの首が狩られ、日本人であれば大人も子供も、男も女もなく殺されました。僕は映画が暴力や戦いを残酷に描くことに賛成です(暴力・戦争には当然反対です)。ただしそれはアクション映画のようなカタルシスのない暴力描写です。人が血を流すことの痛みと苦しみがスクリーンを通して文字通り痛いほどダイレクトに伝わってこなければその残酷性も恐怖も疑似体験できません。セデック・バレはその点においてとても誠実な映画だと思います。


日本に対して反抗した彼らは戦いを決断した時から自分たちの結末をわかっていました。日本軍とガチンコで戦えば勝算は少しも期待できないからです。
それでもなぜ彼らは戦ったのか。そこにあったのが彼らの伝統と風習、そして信仰でした。
簡単に言えば彼らを死地へと向かわせたのは首を狩ることで勇者の称号を獲得できるという名誉欲と死後の世界の保証です。勇敢に戦って勇者になれば死後に祖先のいる世界へ行ける。これは恐ろしいシステムで、今も昔も殉教者の多くはこのシステムのもとで命を奪い合っています。ここは観る側の受け取り方次第だと思いますが、僕は男達の戦いがドラマチックに受け止められすぎるのは恐ろしいぞと思いながら観ていました。


それでも彼らはプライドや名誉というヒロイックな死を選べるだけ幸せだったかもしれません。実は本当に勇敢なのはそんな戦士のために犠牲を買って出る「戦えなかった人たち」です。
セデック族の血を受け継ぎながら日本人の社会の中で生きた花岡一郎(本名:ダッキス・ノービン)と花岡二郎(本名:ダッキス・ナウイ)は最後まで自分がセデックの人間なのか日本人なのかを迷いながら死んでいきます。
そしてセデックの女性たち。男が勝手に始めた戦いなのに彼女たちはそれを受け入れる。いやそれ以外に選択肢はなかったのかもしれないけれど。
この戦いの中で誰が被害者なのかといえば唯一女たちは被害者といって差し支えないでしょう。彼女たちがくだした決断、それがなにより勇敢で誇りに満ちているからこそ、やはり戦いは美化されるべきものではないと思い知ります。花岡姓を与えられた2人の男達、そして女性たちの結末はかなり衝撃的です。僕はここにこそこの映画のいちばんのメッセージが込められていると思っています。


「日本人がとてもひどいことをしました」そう言った台湾人の彼女の言葉は慣れない日本語だったということを考慮しても決して間違っていませんでした。
確かに日本人は土地を奪い、搾取をしました。でもそれが間違っていたのかと問われれば僕はわからないと答えるしかありません。
当時の不安定な世界情勢で資源を必要とした日本人が文明を伝えるという大義名分で台湾やセデック族を統治支配したことも、セデック族が非武装の日本人を襲撃したことも他に選びようのない選択であったとしか言えません。
この映画はそのように作られています。この点においてもやはりこの映画は誠実だと思います。
きっと彼女もそれを分かっていたと思います。だからこそ次にこの映画について話ができるのなら逃げずにしっかり話をしてみたいと思います。


第一部と第二部を合わせると4時間を超える大作です。でもその時間を費やすだけの価値がこの映画にはあります。
機会があればぜひご覧になってはいかがでしょうか。