イノベーションの神話

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イノベーションの神話
Scott Berkun 著
村上雅章 訳


イノベーションの神話

イノベーションの神話


イノベーションという言葉は経済学者のヨーゼフ・シュンペーターによって20世紀に提唱された言葉で、「経済の本質は均衡を破壊することである」という考えにもとづいて作られました。
この視点に立ち返って世に蔓延するイノベーション幻想にメスを入れたのが本書「イノベーションの神話」です。
この本が伝えていることをまとめると「イノベーションを引き起こすのは容易ではない。ただし選ばれた特別な人間にしかできないような奇跡でもない」ということになるでしょう。

例えば発明王として名高いエジソン白熱電球の父としての功績は広く知られるところですが、実のところ白熱電球を発明したのはジョセフ・スワンというイギリスの化学者なのです。
それなのになぜ電球といえばエジソンというイメージが根強く世に受け入れられているのか。
それはエジソンこそが灯りという分野において強大なイノベーションを引き起こした張本人だからと言えます。
遠い昔、ギリシャ神話の神プロメテウスがオリュンポスの山から盗み出した火が人の暮らしをほのかに照らしはじめてから始まった人と灯りの長い付き合い。その中で少しずつ進化を遂げた灯りの世界に起きた強力なブレイクスルー。
エジソン白熱電球、送電線、発電の仕組みその他付随する様々なアイデアを組み合わせた「だけ」です(とあえて言います)。
しかしそれが、シュンペーターの言葉を借りれば、それまでの灯りのあり方を破壊して新しい常識をもたらしたのです。
この視点から得られること、それはイノベーションとは雑草一つ生えない不毛な土地に一晩で大輪の花を咲かせるような神の業ではないということ。
可能性の切り分けを適切に行い、与えられたものから実現可能な範囲で最大限のパフォーマンスを引き出すという極めてプラクティカルな人間の行いこそがイノベーションの本質なのです。


他にも様々な事例を引用してイノベーションが引き起こす誤謬を正していく筆者は続いて、イノベーションがとにかく目新しく今までにないものであればいいという表面的な理解にも警鐘を鳴らします。
曰く、イノベーションが真にイノベーティブであるかは次の項目に応えられるかどうかによるのです。

1.相対的なメリット
それ以前と以後で受け手に与えられるメリット(経済性・名声・利便性・ファッション)は増すのか。
2.互換性
この変化を受け入れることにかかる費用は?経済的なコストだけでなく、文化的な慣習・信念・ライフスタイルとの摩擦の大きさを含む。ペルーのある村では温かい食べ物は体に悪いという風習があったためお湯を沸かすというイノベーションがなかなか浸透しなかった。
3.複雑さ
イノベーションの導入にどれほどの学習と技能の習得が必要なのか。
4.試用可能性
試しに使ってみる、経験することはできるのか。できるとしたらなるべく手軽にできるのか。ちなみにティーバッグはもともと新しい紅茶を家で試飲できるように考えられたものが、今では商品になっているのだそう。
5.観測可能性
イノベーションの結果はどれくらい観察しやすいのか。例えば流行りの服装は流行っていることが目に見えてわかりやすいからこそ急速に普及する。

これもまた人が陥りやすいイノベーションの誤謬の一つです。
言うなれば優れたアイデアが受け入れられるのではなく、多くの人に受け入れられてはじめて優れたアイデアであると証明されるわけです。

本書の白眉は第9章。
ここはとにかく金言と目からうろこの視点のつるべ打ち。
ただ要点はひとつ。
「大切なことは問題をどう解決するかではなく、何が問題なのかをつきとめることである」
例えば重力の発見で高名なニュートンは、晩年錬金術に勢力を傾けました。鉛から金を生み出そうという彼の考えは、しかしながら水泡に帰します。
この話のポイントは問題解決に対する彼のアプローチが間違っていたのではなく、そもそも問題の設定が間違っていたということです。
ここで著者はアインシュタインの言葉を引きます。
「問題を20日で解決しなければならないとしたら、私は19日かけてその問題を定義する」
こう考えるとイノベーションというのは霊的な力や特別な才能に付随するものではないという考えに行き着きます。
大切なのは物事を注意深く見つめる冷静さと、自分の頭で考え続ける粘り強さなのではないでしょうか。

ここでは触れませんでしたが、本書ではまず人と神話の関係性を文化人類学的な立場から分析をしていて、それも大変興味深い内容でした。
豊富なエピソードと引用の数々も著作に魅力を与えていたように思います。