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男たちが自慢されたい女性群像劇 「サニー 永遠の仲間たち」

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映画「サニー 永遠の仲間たち」
監督:カン・ヒョンチュル
主演:ユ・ホンジュン他



クソみたいな現実に対して過去はいつもキラキラと眩しく輝いて見える。
不遇な思春期を過ごして大人になって成功した人でも時が経つにつれて過去は思い出すだにくすぐったくも甘美なものになるだろう。
冷静に思い返してみればあの頃はあの頃で毎日張り詰めながら精一杯に生きていたし、それなりにシビアな現実に向い合っていたはずなのになぜか郷愁はいい場面だけを見せる、もしくは辛かった過去さえも素晴らしい過去に変えてくれる。
サニーは劇薬だ。ノスタルジーをこれでもかと言うくらい刺激する。


舞台は1986年の韓国。すぐ隣りの国とはいっても日本とは単純に比べることのできない時代背景を感じざるを得ない。
政府は目前に控えたソウル・オリンピックに向けて表面上の自由化を進めており、学生の制服は廃止されて私服通学に変わったり、すこしさかのぼって82年には45年以来続いていた午前0時から午前4時までの夜間通行禁止令(!!)を廃止していた。
その裏では学生運動・労働運動は弾圧されていたし、夕方5時にはスピーカーから国歌が流れて人々は降納されていく太極旗を静かに見守らなければならなかった。


その中で青春時代を謳歌していた女学生グループ・サニー。
時代背景も性別も違う彼女たちに僕がどうしてここまで自らを投影し、彼女たちに寄り添いながら物語を追いかけられるのか。
それはこの作品には異性への視点がないからだ。男を意識したり、仮想敵にしたりせずにのびのびと女性の、または女の子の生き様を描く。つまりそれは人間のドラマだからだろう。
思春期の強力なエネルギーと脆さの危ういバランス。ちょっとしたことで争って傷つけあってしまう未熟さと、それを乗り越えてまた友になれる素直さ。
大人になった主人公たちはそれぞれの境遇である者は幸せにまたある者はハードな時期を迎えているが、そこにいたってもあくまで彼女たちは女である以上に人間として仲間を繋ぎ、生きていく。
そこにこそこの映画の魅力が詰まっている。


それに比べて現在絶賛公開中の日本の女性群像劇その名も「ガール」はまさにカギ括弧付きの「女子」向け映画でクラクラした。
もとからターゲットが恋も仕事も一生懸命☆がモットーなアラサー女子だろうから、職場では時代錯誤も甚だしい男尊女卑野郎をやっつけて、年食ってるだけで使えない無能なオッサン上司もひれ伏せて、でも自分の彼だけはイケメンで優しくて自分の生き方に理解があるというトンデモご都合主義で気分良く劇場を後にしてもらえば興行としては成功なんだろうけれど、ドラマとしてはクソとしか言いようがない。


日本で今年公開されたアメリカ映画「ブライズメイズ」も女性の群像劇だったけれど、こちらも別に男社会に自分から肩をぶつけておいて因縁をつけるようなチンピラみたいなことはせずに、あくまで女性が女性に対してもつ嫉妬や、女性同士の付き合いにおける難しさを描いていただけだった。


ガールがすごいのは最後に「100回生まれ変わっても100回女の子がいい」という映画のテーマを言葉で言わせて、なおかつそれに全く同意できないところだ。
テーマを言葉で説明すんなよ。ダサいから。
それに比べると、サニーやブライズメイズはちゃんと女の子っていいな、女性が羨ましいなときっちり思わせてくれる。
それは女性を描く以上に人間を描いているから。
どっかの広告代理店が作った「女子」という幻影がこれ以上誰かに取り憑いてしまわないことを願う。(ガールが満員御礼になってしまう現状じゃ望みは薄いか・・・)