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Young Adult

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映画「ヤング≒アダルト」 11年 米
監督:ジェイソン・ライトマン
主演:シャーリーズ・セロン



原題は「ヤングアダルト」で邦題は「ヤング≒アダルト
真ん中に入ったこいつ「≒」、ニアリーイコール(ほとんど等しい)を意味する記号は作品の性格を端的に表す優れた役割を演じている。


そもそも「ヤングアダルト」は心理学用語で10代の若者が自分はもはや子供ではないと思い込み、対照的に周りからは子供扱いされることへの葛藤を背負い込む時期のことを指す。
これを作品中では反対に年齢的には大人として扱われる個人がふと現在の生活に立ち迷い、若かったころの輝いていた自分へ回帰しようとするも周りからは理解されないという葛藤へ言葉の性格を変容させている。
つまり今作は「ヤングアダルト」という名の「ミッドライフクライシス(中年の危機)」を描いた映画であり、老いも若きも匿名的な社会から無条件に期待されるそれぞれの年代に適切な振る舞いと、自己が欲望する振る舞いのはざまで悩むことがあるという点においてはほとんど変わらない、ニアリーイコールな存在であると伝えている。
テーマは明確だ。本国アメリカの宣伝文句から引用しよう。

Everyone gets old. Not everyone grows up.
(年を取ることが、成長とはかぎらない) *筆者訳


監督のジェイソン・ライトマンと脚本家のディアブロ・コーディは同じくタッグを組んだ映画「JUNO」においても同様のテーマを描いていた。
この映画の中では家庭を築く、父親になるという責任感に耐え切れなくなり逃げ出してしまう男が出てくる。
主人公の少女ジュノは彼を気持ちの若い大人だとはじめは思っていたが次第に彼は若いのではなく幼いのだと理解することで、自ら成長を遂げる。
年を取ることが成長とはかぎらない、という理解による成長だ。
同様のテーマをこのタッグは語り口を変えて「ヤング≒アダルト」で描いたことになる。


主人公は30代も後半に差し掛かったバツイチの女・メイビス。
田舎を出て都会で暮らす進歩的なオトナの女だが、その内側は虚無感で満たされている。
男とはカラダだけの関係にしかなれず、執筆している小説もシリーズ打ち切りが決まったのだ。
そんなある日、学生時代の元カレから子供の誕生を祝うパーティへの招待状が送られてきた。
「子育てに追われる彼はきっと幸せではなく、自分と新しい生活を送りたいはずだ」という思い込みと、都会で成功している自分なら田舎で羨望のまなざしを得られるだろうと期待してメイビスは故郷へ向かう。
あらすじはこんなところ。
結論から言って、彼女はこの帰郷を経てひとつの成長を果たすわけだが、とうぜんここでその内容には触れない。
肉体的な成長を終えた生物学的な成人、自分で稼ぎ生活しているという社会的な成人が主人公のため「JUNO」とはまったく違う角度から大人への成長を果たす。
そのきっかけはほんの些細なことで、まるで雲間から射す陽のようにおぼろげかもしれない。
ただし、この陽はたしかに光って迷えるヤング≒アダルトに変わらない新しい世界を提示している。


根本では変わらない人間と常に変化しながら新たな課題を投げかけてくる社会、この普遍性と現代性の交差する場所がジェイソン・ライトマン監督の手がける作品が生まれ育つ場所だ。
だからこそ、彼の作品はいま見たほうがいいし、何年かあとに改めて見たほうがいいと強くオススメする。