監督失格

このエントリーをはてなブックマークに追加

監督:平野勝之
主演:林由美香



愛という言葉、別にLOVEでもamourでもいいのだけれど、を脳みその奥の奥の深いところにまで染みこませて思い浮かぶものが何なのかを考えてみて欲しい。
この映画から溢れ出すものはきっとそれだ。けれども目に写るものはとてもじゃないが多くの人に愛されるとは思えない。そこには甘いコーティングで彩られた夢物語はなく、ひたすら生と死がむきだしのままこちらを凝視しているからだ。


林由美香は幼くして両親が離婚するとその後は彼女を引き取った父親と暮らすも18にも満たない年で家を飛び出し小さなアパート住まいを始めた。世間一般の幸せとはほど遠い暮らしの中で彼女は当然の成り行きとして生きるために女を売った。その後、AV女優になるとすぐさまトップ女優になった。


平野勝之は学生の時分から才能を開花させ漫画家として創作活動を開始する。順風満帆に見えた漫画家としての生活だったが彼はそのキャリアにすぐ終止符を打ち8ミリカメラを手に今度は映像作家としての活動を始めた。3年連続でぴあフィルムフェスティバルに入選するなどし、彼の才覚はこちらでもすぐに発揮された。しかし次第に創作に行き詰まると資金に窮する。そんな時、知り合いから誘われたAV監督の仕事を金のために引き受けた。


二人の線はこのとき初めて交差する。


それから6年後、平野は自身のAV初監督作品でまったく相手にしてもらえなかったトップアイドル林由美香と共に東京から日本最北端の島・礼文島へ自転車で旅をする。当時、不倫関係にあった二人はこの「由美香」という作品を最後に関係を終わらせることになる。


今作はこの「由美香」の中で林由美香が平野に向けて「監督失格だね」というシーンから始まる。
ドキュメンタリーなAVを作風としていた平野は普段からカメラを回し続けている。それなのに二人が大げんかをしたその場面で彼はカメラを回せなかったのだ。
林由美香が凡百のAV女優と違いトップに登りつめたのは彼女の容姿や人なつっこいキャラクターよりもこの徹底したプロフェッショナリズムにあったのだろう。監督でさえも撮影をためらった生々しすぎる二人のケンカの場面を彼女は「どうして撮らなかったのか?」と問い詰め「今度からはちゃんと撮れ」と後押しまでしたのだ。
そのプロフェッショナリズムが「由美香」を通して私小説的なロマンスを描きたかった平野と「仕事だから来ただけだ」というスタンスを崩さない林由美香を別れさせてしまうのが皮肉なものなのだが。


男女の関係を解消してからも二人は連絡を取り合っていた。
その間、平野は自転車旅の魅力に取り憑かれ、またAV作品としては初めて劇場公開された最高傑作「由美香」を超えるために自転車3部作を北海道を舞台に制作する。林由美香はピンク映画で演技の才能をいかんなく発揮し2度のピンク大賞女優賞を獲得する。


そして「由美香」の旅からおよそ10年後の2005年。平野は再び林由美香に出演の依頼をした。


撮影当日、彼女のマンションの玄関前からカメラをまわす平野。しかしどれだけ待っても彼女は出てこない。
彼女に限って仕事をほっぽり出すはずがない、と訝しむ平野は翌日再び彼女のもとを訪れるも結果は同じだった。
不吉な予感を感じつつ彼女の母親に連絡を取り合い鍵で部屋に入ると、そこには彼女の死体が転がっていた。
お酒と睡眠薬の摂取による事故死。35歳の誕生日を迎える2時間前のことだった。


この作品は表現者とはなんと業の深い存在なのかを浮き彫りにする。
かつての恋人を、愛する娘の変わり果てた姿を目の前にした平野と林由美香の母親の姿を玄関脇に置かれたカメラは静かに記録し続けていた。
その映像を見た平野は林由美香を失った悲しみを深めつつもこう思うのだ。「由美香の死んでいるところを撮影できなかった。監督失格だ」と。


林由美香の死後、平野は一切の創作が出来なくなっていた。通夜でも葬儀でも一切の涙を見せなかった男はしかし大きな喪失感を抱えていた。
それでも周囲の励ましと叱咤の甲斐もあり平野はこうして作品を世に送り出した。
「由美香」から15年。二人は最後の作品を作り終えた。