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名画の言い分

絵画
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みなさんは美術館へ行った際、音声ガイドを頼みますか?
僕はほぼ必ず頼みます。理由は単純で、そうしないと絵の良さがよくわからないから。
例えば聖母マリアの描き方ひとつ取ってみてもある時期を境にくっきり違いがでます。
それは宗教改革を経て聖書中心主義のプロテスタントが台頭してくる以前と以後。


まずはこの絵を見てください。


グェルチーノ 「ペテロの涙」


デッサンの正確さや色使いの妙など見ただけで良い絵だなと感じられる作品です。
しかしこの作品はただ良い作品である以上にとても大きな意味を持っています。
それはキリストを失ったマリアが悲しみに打ちひしがれている表情が描かれているということです。
もともとキリストにまつわる奇跡を描くことを主題としていた宗教画でマリアが登場する作品と言えば処女懐胎をテーマにしたものが主でした。
宗教改革以前までそれらの絵の中のマリアといえば神性をはらんだ描かれ方をされるものばかりで、さらにそれらの絵が含んでいる宗教的な教えを読み解くことは相当に教養を積んだものでないと難しく、現代に比べまだ教育の機会が一部の富裕層に限られていた中世でそんな人間は限られていました。
しかしプロテスタントが勢力を伸ばし信者を失っていく状況でバチカンも今までのようにあぐらをかいていられません。
そこでカトリックの神父達は一般階級の人たちに人気のあった聖母マリアを利用することを思いつきます。
処女懐胎という奇跡を起こしキリストなみに神格化されていたマリアを一人の母親として描くことにより知識のない一般層にも感情移入させやすくしたのです。失った信仰を取り戻しキリストの教えを身近なものとするバチカンの狙いは見事に成功。これをきっかけにカトリックはプロモーション活動をよりいっそう活発化させていきます。
そんな宗教家の思惑や時代背景を理解した上で冒頭の絵を見返すとただ感覚だけで見ていた時よりもさらに作品が魅力的に映ります。
僕はこの体験を音声ガイドによって味わいました。


本書「名画の言い分」で「美術は見るものでなく読むものです」と切り出す著者の木村泰司の意図は上の例で説明できたでしょうか。
たった一枚の絵。見るだに素晴らしい作品だと感じ取れるもの以上に一瞥しただけでは良さがわからないような作品こそ著者のいう「読む」という行為が大きな意味を持ちそうです。
技術の巧拙だけでは判断できない歴史的な価値。高名な、でも自分にはその良さが全く分からない作品を前にして世間的に名作だと言われているからなんとなく好きということにしておこうとした経験はきっと誰にでもあるはずです。
「なんの意図もなく描かれているものなどない」そうはっきり著者が断言するように、感性よりも理性を信頼することで制作されてきた西洋美術と向き合うにはこちらもそれなりの理性をもっておかないとどんな名画もただの絵で終わってしまいます。
ネーデルランド絵画とフランスアカデミーが推奨する美の基準の違いを理解することはそのままオランダとフランスの成り立ちの違いでもあります。
一見おなじに見える天使とキューピッドの違いを区別しないままに見ると作品のもつテーマがまったく変わってしまうことになります。
絵を理解することでヨーロッパの歴史や文化が学べる。一石が二鳥にも三鳥にもなるおいしい本です。


名画の言い分 (ちくま文庫)

名画の言い分 (ちくま文庫)