読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もしドラの作者が誰よりもドラッカーを復習すべきひとつの理由

このエントリーをはてなブックマークに追加

映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」 11年 日
監督・脚本:田中誠
主演:前田敦子


〜はじめに〜
250万部を超える大ベストセラー「もしドラ」の映画の感想を述べるに際してあらかじめしておくべきことは当然、この原作を読み、できればさかのぼってドラッカーの「マネジメント」を読むことだろう。が、簡潔に申し上げてわたしはそのどれもしていない。その程度にしか”真摯にひたむきに”この映画に向き合っていない人間の感想だと思って読み進めていただけると幸いである。
なお、本文ではおおいにネタバレをしていくのでこれから見に行くつもりの方は注意されたし。


〜感想〜
作品を見ながらまず思うことは「この映画、それほど悪くない」ということだ。この手のテレビ局出資で話題先行な作品にありがちな荒唐無稽さはない。例えば同じTBSが出資していて、同じく野球を題材にとる「ルーキーズ」のような、試合中にも関わらず相手チームは待たせておいて自分たちだけで勝手にドラマを始めちゃうみたいな非常識なことはしない。ただその「そこそこ見れちゃう」という事実がこの映画の最大の欠点であるのだが、それは結論で改めて触れたい。
作品の見どころは何と言ってもドラッカーの理論がいかにダメ野球部を変えていくのかに尽きる。入院する親友に変わって野球部のマネージャーに就任する主人公が勘違いから購入してしまったドラッカーのマネジメントを野球部のマネージングに応用していくというアイデアは素晴らしい。
しかし、その一見すると相容れない要素を結びつけるという面白さがこの映画からは伝わらない。映画の序盤こそドラッカーの金言のいくつかを取り上げて主人公がそれを実行に移すというシークエンスがあるのだが、結局その教えが具体的にどのように作用したのかが曖昧で気がついたらチームが上手く回り出したということになってしまっている。特にチームが団結する決定的な理由は監督の突然の覚醒によるもので、マネジメントを読んだ女子マネージャーは終始あたふたするだけでは今作の1番重要な部分がすっぽり抜け落ちていると言わざるを得ない。
そして今作のもうひとつの見どころは250万部の大ベストセラーを今や比肩するもののない超トップアイドルAKB48のそのまた中心的存在である前田敦子で映画化するという、アイドル映画としての「もしドラ」だ。アイドル映画の機能というのは何を置いてもまずはファンを喜ばせることであり、大ヒット原作というオマケもつけばそれは、今という時代を切り取り後生に残すということになるだろう。
この先、10年20年経ったのちに今作がどのように受け止められるかはわからない(それこそ町山智浩氏が吐き捨てたように10年どころか半年もすれば誰からも思い出されないゴミクズになるかもしれない)。
しかし少なくともこれだけは言える。前田敦子を楽しむという意味でのアイドル映画としては今作は失敗していると。理由は大きく2つ。1つ目はストーリーの盛り上がりが野球の試合自体に集約されてしまうために映画的にテンションのあがるシーンで彼女の存在は宿命的に薄ぼやけてしまうこと。チームがピンチを迎えたとき、チャンスをつかんだとき、そこにいるのは彼女ではなく選手達であり、彼らの熱いプレーなわけで、一応の画として彼女がインサートされたとしても、その行為の中心に彼女がいない以上ファン心理として興奮は持続しない。(はず。だがファンはその一瞬でも大画面で彼女を見られれば満足なのかもしれない)
2つ目の理由は野球部というコミュニティの中にありながら男子部員との甘酸っぱい恋という展開は意図的としか思えないほどに排除されていることだ。映画の中では男子部員も女子マネージャーもそれこそビジネスライクに目標へ向かうだけで、気になるアイツに素直になれない女の子というようなそれこそアイドルファンの望む処女性を感じさせる演出などがあれば観客へのサービスになったのではないだろうか。


〜結論〜
以上のような要因から今作はフォローのしようがないほど酷い作品ではないが積極的に誉めるには至らない「そこそこ見られる」程度の出来だと感じた。
実際、劇場で私の横に座っていた3人の女性はそれぞれクライマックスで泣いていたりもしたわけで、届く人には何かが届けられていたこともまた事実なのだ。
しかしその「そこそこ見られ」て感動できてしまう構造こそが今作の抱える最大の自己矛盾に他ならない。
観客の感動を誘った部分は物語の後半、主人公の親友が入院先で死んでしまうところから始まる。そしてこの親友、タイミング良く死ぬのは決勝戦前夜。主人公はあまりのショックで自己破壊に陥りチームから逃げ出してしまう。しかし仲間の必死の追走で試合途中になんとかベンチ入り。するとピンチを迎えていたチームが波に乗り、死んだ元マネージャーのためにという絶対的理由で勝利。甲子園出場おめでとう!チャンチャン。って、この展開は言うまでもなくありきたりで陳腐なテンプレートでしかない。
しかし映画の中で主人公はドラッカーからこう学ぶのだ。

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。


主人公の野球部はこの教えに従いバント禁止、ボール球を投げないという超攻撃的戦略を敷き勝利した。
だというのに肝心の物語が主人公の親友であり野球部のアイドルである女の子を殺し、それをチームの勝利の理由とするなんていうマネジメント理論から分析すれば唾棄されて然るべき陳腐なテンプレートで物語を作り上げてしまったのだ。
作者(原作者・脚本家)はドラッカーから一体何を学んだというのだろう。ドラッカーを主題に取りつつそのドラッカーの教えを真っ向から否定するような創作をしたという時点で、私はもしドラの作者が誰よりもドラッカーを復習すべきと思うに至ったのだった。
チームが勝つにしても、死んだ元マネージャーが選手達に憑依して超能力で好き勝手やるとか、今までさんざん理で攻めたのに最後はオカルトでしめるというような展開だったらイノベーションだったのに!