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映画「ノット・レイテッド 〜アメリカ映倫のウソを暴け!〜」 06年
監督:Kirby Dick


数十年にわたり謎に包まれていたアメリカ唯一の映画倫理委員会『MPAA』を公のものにする。「映画の年齢制限は誰がどう決めているのか?」という疑問に対するドキュメンタリー。知られざる映画の裏の1シーンにメスを入れる作品。


R指定と聞くと即座に連想されるのがわいせつ、もしくは暴力的なシーン。
1920年代ハリウッド、無規制の下で制作された映画のあまりの無規制っぷりを危惧した映画界の人々が自主的に起ち上げた機関がMPAA(アメリカ映画協会)で、以後MPAAの審査を経ない作品は連盟に加入している全米の映画館(要はほとんど全ての映画館)での上映が許されないというルールが確立した。
レイティングの段階は誰でも鑑賞可能なGに始まり、親の許可が必要なPG、17歳未満の場合は親の同伴が必要なR、そして18歳未満は入場禁止という最も厳しい規制のNC−17まである。
ちなみに現在は13歳以下は父兄同伴が必要なPG−13という段階も設けられているが、これは「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」公開時に劇中のあるシーンが審査に引っかかりR指定を受けたことに対して監督のスティーブン・スピルバーグが審査委員会に掛け合ったことで新たに作られたものだ。
老若男女あらゆる観客の目に触れる機会があるものだけに不必要なほど暴力的であったり卑猥な作品は前もって切り分けられてしかるべしなのかもしれない。
問題はその評価方法に統一性がなく、また評価者の素性が明らかにされていないことだ。
例えばセックスシーン。ある映画では男女が部屋で立ちバックに勤しんでいる。となるとこれは大体R指定になる。残念。これが正常位であればPGで済んだかもしれない。しかしこのカップルが同性愛者であったならばすぐさまNC−17だっただろう。
同じ性行為であってもその体位やアングル、ヘテロかホモかで規制のレベルが変わってしまうなんて露骨に恣意的だ。
この映画の監督は探偵を雇い今まで謎のままだった審査員たちの素性を暴いていく。
さらに自ら今作を審査に出して審査員と直接やりとりをしていくのだが、その中で驚くべきことがわかる。
審査員たちに助言を与えるという名目でカソリック教会の神父とメソジスト教会の牧師が同席していたのだ。
言うまでもなく彼らは保守的で特に同性愛については偏った意見を持っている。
表現の自由を最大限に謳歌する手段としての芸術。それをごく一部の偏った視点から評価してしまうなんて。
この映画の上映後、審査員達の素性は原則として公開されることになったそうだ。
行き過ぎた偏見による評価に歯止めがかかっても露骨な暴力描写にストップがかかることに変わりはないだろう。
銃で撃たれても血を流さない光景に違和感を覚えなくならないように観客の側も想像力を行使しながら作品を鑑賞すればより良くそれらを味わえる。
一人一人の頭には誰かの恣意的な規制を超える力が眠っているのだから。