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理想と現実

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歴史上の人物であなたの好きな人は?
という設問で必ずと言っていいほど上位、というか1位か2位を二人で行ったり来たりなのが坂本龍馬織田信長
どちらも一般の日本人からはかけ離れた創造力と行動力を持っていて、その行動はそれぞれの時代から考えれば言えば革新的でありなおかつその革新性で大きな変革を実際に起こした(起こしかけたと言った方がより正確か)人物であることは今さらここで説明するまでもない。
上述したように二人に共通していることは共に大きな事業を成し遂げる一歩手前で非業な最期を迎えているというところであり、それがこの二人にさらなるドラマ性をもたせていることが人気の一端にはあるだろう。
では、日本の歴史を学ぶ上で必ず習うのに冒頭の設問ではほとんどその名前を聞かない人物はと問われれば、この人は歴史上で果たした役割の大きさから比べれば最も乖離する結果を授かっているだろう。
それが徳川家康。日本の歴史上類を見ない超長期政権である徳川幕府の創始者その人だ。
最近この本を読んだ。

覇王の家〈上〉 (新潮文庫)

覇王の家〈上〉 (新潮文庫)

覇王の家〈下〉 (新潮文庫)

覇王の家〈下〉 (新潮文庫)


本の内容は家康の幼少期における不遇の数々、それから織田信長の同盟者として徐々に頭角を現し信長没後は秀吉と覇権を争いやがて死ぬまでの一代記。
しかし家康にとってのクライマックスである天下分け目の戦い(関ヶ原から大阪冬・夏の陣)は一足飛びに飛ばされている。



この本を読んで思うことは人間の同族嫌悪とでも言うべき性行はやはりあるのだろうということ。
読めば読むほど現代の、明治維新を果たした時からでさえ変わっていない国民性のようなものはこの人のもつそれを源流にしているのだと思う。
つまり以心伝心という曖昧な基盤の上に人間関係を築き、主張は少なく。既存の価値観や風習を破壊するような激烈なるものを好まず扱い慣れた物事を愛でる。
300年近くも日本を支配したこの美徳はそれが崩れ去ってから100年以上経つ今でもしっかり根付いていることが凄い。
例えば家康の性格をよく現すこんな咄がある。
「素手で刃物を獲る馬鹿」というものだ。
以下、司馬氏の著書より引用。


あるとき、浜松の城内で突如乱心した者があり、太刀風もあらあらしく棒振りまわして廊下を飛び歩き、人を見れば襲って傷つけた。
城内は大騒ぎになった。それに対し、遠州出身の兵法自慢の者がスルスルと前へ出、その狂人の太刀を巧みにかわしながら手もとに付け入り、素手でもってその狂人をとりおさえた。
当然、ほうびがさがるものとその兵法自慢の者がおもい、他の者も賞賛したが、家康は逆に怒り、
「その類の者、当家にとって無用である」
と、宣言するようにいったため、城内は一時に酔いが醒めたような思いがした。
〜中略〜
家康はいう。刃物には刃物、もしくはしかるべき捕り道具を用意せよ、かつ人数をあつめ、捕りものをの部署をし、工夫をこらせ、しかるのち事無く捕らえるのが当家にとって有用の侍である、という。
素手で捕ってみせようという魂胆はおのれ誇りのあほうのすることで、そういう者に一手の軍勢をあずければ、自分の綺羅を見せびらかすためにどういう抜け駆けをし、勝手戦をし、ついには全軍の崩壊をまねくような悪因をつくるかもわからないというのである。
<覇王の家・下巻 P144、P155>


もっともだ、と膝を打ちながら同時に矮小な考えだとも思ったりしないだろうか?
家康は万事がこのような人で、憧れるには少し魅力にかけるかもしれない。
しかし、今あなたの周りにそれこそ龍馬や信長のような剛胆で常識をいつだつするような人物が現れたとしたらあなたはそれを本心で受け入れたり支持するのだろうか?
僕は否だと思うな。
結局、自分の周りには平穏を求め、刺激は映画のヒーローにおまかせという人のほうが多数派であることは間違いないだろう。
だからこそ僕は言いたい。
ほんの少しでいいから家康を評価するべきだ、と。
この本はとりもなおさず日本人である自分たちの実情を知らしめてくれる、そんな本だ。
理想だけでなく現実に光を!