ノットイエット

このエントリーをはてなブックマークに追加

京都を出発した我々は電車に揺られてさらに西下。
心地よい振動と窓から差す陽の暖かさに気が付けば二人とも意識は遠くへ飛んでいた。
しかし寝過ごして大切な時間を失うようなバカではござらん。
しっかりと目的地で下車完了。
いやぁ、やっと着いたなー、姫路!……すんませんが、まだ四国もとい香川紀行は始まりません。
だって、見たかったんだもの、これを!


ってことでまずは遠目の一枚。

そして近くから。

おっと、近すぎた!でも途中の道のりは長くなるので割愛!


ちなみにwikipediaから概要を引用。

姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城である。日本における近世城郭の代表的な遺構である。

この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まる(異説もある)。戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、のち本多氏や酒井氏などの譜代大名が入城した。明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられ[1]、太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの焼失を免れた。

現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。また1993年(平成5年)、ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されている。現存天守は、江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、いわゆる「国宝四城」(通例として、国宝指定の天守を持つ城のことを指し、姫路城・松本城彦根城犬山城をいう)の一つでもある。


お城の内部にも侵入しました。
忍者やってたからね。素人さんではなかなか入れませんよ。だからここでは独占的に内部の様子をお知らせしましょう。
敵の来襲に備えて火縄銃や武具の備えには余念がない様子。まあ敵はもう侵入しとるんやけどね。


内部の階段はかなり急な造り。城の上り下りは大変だ。

鎧も発見。着るのも一苦労そうだ。


と、そんな風に内部の密偵をしていると近づいてくる足音が。
しかし忍者たるもの慌ててはいかん。
闇にまぎれればほら見つかりません。やっててよかった甲賀流

相棒のうどんマスターなんて眠りこける始末。近頃の城はガードが薄いなぁ。


そして我々は敵の目をかいくぐり天守閣の一番上へ。
殿様はこの景色を独り占めしてたのだな!許せん!我々が皆に開放してやる!

相棒もしばし見とれて任務を忘れそう。


しかーし!真の目的はここにはないのだ!
景色に酔いしれるうどんマスターを引きずり再び電車へライドオン!
そしてついに我々は海を越える。


さあ、大変おまんたせいたしました!
次回よりついに珠玉のうどんたちの登場です。
それまで腹をすかすために走って待て!