unforgiven

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映画「許されざる者
監督:クリント・イーストウッド
主演:クリント・イーストウッド


イーストウッド詣で、まだまだ続いています。
今回はイーストウッド最後の西部劇そしてアカデミー賞作品賞受賞作でもある「許されざる者」です。


とある町で売春婦が客の牧童に顔をナイフで切り刻まれるという事件が発生。
この事件を町の保安官であるビルはわずか馬7頭を賠償として差し出すことでお咎めなしにしてしまう。
当然怒りが治まらない売春婦達はこの牧童に賞金1000ドルを賭ける。
その話に若い賞金稼ぎであるキッドは以前から噂には聞いていた腕利きの殺し屋ウィリアム(イーストウッド)を誘う。
初めは首を縦には振らなかったウィリアムも子供の養育費を稼ぐためにと11年ぶりの人殺しを決意する。


以上がこの映画のイントロ。
この映画の推進力はかつての殺し屋がいま再び人を殺せるのか?というところに集約されていくと思ったのですが意外とそこはあっさりとクリアしてしまいます。つまり牧童はけっこう簡単に死にます。
一応ウィリアムの相棒だったネッド(モーガン・フリーマン)が昔のようには人を殺せなかったという役回りを務めはしましたが、その辺りの葛藤はあまり深く描きません。
それよりも話は事件の起きた町を支配する保安官ビルとの対決という構図になっていくわけですが、正直この展開では感情移入がしにくいんだよな。
この保安官ビルは確かに暴力的な手段でやりすぎなところもあるし、ウィリアムにしてみればストーリー上のある事件によって憎むべき相手にはなるのですが、だからといってこちらとしては簡単に肩入れが出来ない。
理由は保安官が暴力的な面はあるにせよそこまで悪政を敷いてはいないから。
彼が暴力を振るうのはあくまで町のルール(銃器の類は町へは持ち込めない)を破って牧童を殺そうとやってきた賞金稼ぎ達に対してだけで、例えば悪代官のように袖の下をもらっていたり権力を行使して自分の欲望を満たそうとしたりはしていないのです。それどころか人間味に溢れる人柄でちょっと親近感があるくらい。
まあ売春婦達に対する扱いにはやや差別的なところはありますが、いわゆる憎まれ役としてはキャラが弱い。
そんな理由もあってクライマックスであるはずの対決シーンのカタルシスみたいなものが味わい難いのです。
この展開を肯定的に見ればイーストウッドはステレオタイプな西部劇の型にはまりたくなかったのかなとも思えるのですが。
その証拠にこの映画で興味深いのは劇中には出てこないのに観客の想像力を喚起するキャラクターとしてウィリアムの死んだ奥さんがいます。
その世界では知らないものはいないというくらいの殺し屋だったウィリアムが改心してしまうくらいに大きな存在だったその奥さんついては、しかしながら劇中ではどんな人だったのかそしてウィリアムとの間に何があったのかというエピソードは一切ありません。
それどころか最後のシーンではその謎をより謎めかせるようにして字幕が流れます。
要約すると以下になります。
死んだ奥さんの母親が後にウィリアムの家を訪ねるがすでにウィリアムと子供達の姿はなくついに母親はなぜ自分の娘があんなに悪評高き男のもとに嫁いだのかが判らなかった。
さてイーストウッドはこの謎かけにどんな意図を忍ばせているのでしょう?
最後の西部劇をパーッとお祭り気分で仕上げなかったイーストウッドはその点においてはやはり素晴らしいアーティストなのだとは思います。そんな映画。