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看板にやや偽りあり 佐藤優著 「国家の罠」

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元・外務省職員、佐藤優氏の処女作である「国家の罠」はその作品名の通りまぎれもない政治ドキュメントであり、氏の体験を克明に描いた優れたルポルタージュである。しかしそのあまりに的を射すぎたタイトルと”外務省のラスプーチンと呼ばれて”という刺激的な副題によって、この作品の持つ普遍的な読み物としての魅力を見誤って手に取ることを躊躇った読書家も少なからずいることと思う。まず初めに申し上げよう。もし貴方がそのような認識によってのみこの作品を敬遠していたのなら今すぐ書店へ向かったほうがいい。そしてもし貴方がもとからこの作品の存在を知らなかっただけであったなら、私は私の拙文が貴方とこの作品の素晴らしき邂逅の端緒になることを願って止まない。
2001年4月26日に小泉政権が発足したとき、国民はこの国に政治があったことを知った。ワイドショーは連日のように総理の一挙手一投足を報じ、国会中継がお茶の間を占拠することも珍しくなくなった。小泉氏、実質的には彼の秘書であった飯島勲氏による巧みなメディア操作によって小泉劇場は連日大盛況の様相を呈していた。しかしいつまでも一人の主役による演目だけで満足するほど国民は甘くない。そこで官邸は新たなスターとして変人の生みの親、田中真紀子女史を担ぎ上げた。そして田中氏は彼らの思惑通り氏のいうところの”伏魔殿”である外務省において八面六臂の大活躍。外務省は田中氏の就任以前より外務省の役人による機密費私的流用問題などで国民からの不信感を買っており、田中氏の外務長官就任はまさに猛烈なる向かい風であった。しかし田中氏の行動の中には省内人事を巡っての事務室閉じこもり事件や、9.11テロ直後に米国高官が避難していた場所をマスコミに漏らすなどのともすれば奇行や失態と捉えられても仕方のない行動も多数あり、外務省の役人達は次第に本気で田中氏の追放を画策し始めた。そしてそこで彼らが目を付けたのが当時、政治家の中で外務省内に圧倒的な影響力を持っていた鈴木宗男氏であった。外務省はまさに毒を以って毒を制すという格言に習って自分達の省益に走り、念願通り田中氏の失脚に成功したのだ。そして田中氏の外務省追放に成功した役人達はそのまま目の上のタンコブであった鈴木氏をも落としいれることを考えた。これが本書の中の大部分を占める国策捜査国家の罠の始まりである。

著者である佐藤優氏は当時外務省の職員として主に対ロ外交の一翼を担っていた。日本の対ロ外交における悲願は言うまでもなく北方四島の返還であり、佐藤氏と鈴木氏はこの点においてお互いに志を同じくする者として親交を深めてきた。対ロ外交の詳細や、佐藤・鈴木両氏の交流などについては本書にその概要が詳しいのでここでは省くことにするが、少なくとも当時ワイドショーや一部週刊誌レベルで報道されていたような不適切な関係が両者のあいだにあったとはにわかに信じ難い。もちろん本書の中で語られる事実はあくまで佐藤氏の視点から見たものであって真実であるかは当事者以外にはわからない。しかし当時の国民総嫌鈴木宗男という事象もまた一つの大きな虚構であったことを記しておく必要があるだろう。そしてこの虚構が外務省の陰謀によって作り出されたということも加えておく。
佐藤氏は当時のそんな異常とも言える国民世論の高まりを鎮めるための人柱として、背任・偽計業務妨害の二つの容疑で逮捕・起訴された。本書の面白さの一つに佐藤氏本人が自らの逮捕について恐ろしいほど冷静にそして客観的な視点で分析している点があげられる。そして最終的に佐藤氏が導き出したそれはただの政治マターを超えて社会学的な見地にまで及んだ。佐藤氏の逮捕・起訴を経て鈴木氏の逮捕にまで漕ぎ着けた検察は、今回の一連の展開を国策捜査、つまり国にとって利益になるということで行われた捜査であると認め、それを“時代のけじめをつけるため”と評した。そしてその言葉に鋭く反応した佐藤氏は今回の事件を日本のパラダイム・シフトに結びつけた。つまり佐藤・鈴木両氏は当時の総理であった小泉氏が声高に喧伝していた構造改革を断行するための生贄になったのだ。
さて、佐藤氏は自らの潔白を貫き通すために結局512日にも渡る勾留生活を送った。本書で佐藤氏はこの勾留生活についても余すところなく述べている。拘置所に入れられる際には一体どのような手続きがなされるのか、食事は何を食べ、どのようにして取調べ以外の時間を過ごすのか。さらに氏の拘置所暮らしの描写で特に感銘を受けたのが、拘置所暮らし後半になって氏が死刑囚に挟まれるようになってからの部分だ。死刑囚の一人が牢屋の中から見ていた植木がなくなったことを惜しむ件などは人間の本質をとても端的に表しているように私は感じた。本書の素晴らしいところは、佐藤氏がページの全てをただ自らの弁明に費やすことに終始せずに、社会や人間というものをしっかりと描いているところである。佐藤氏にとっては敵になる取調官についても佐藤氏はあくまで対人間としての視点に拘り、公正にその人を描いており、その点も好感が持てる。
つまり本書は当時のバカ騒ぎについての被疑者側からの言い分であり、日本という国が大きな変化を遂げる瞬間の記録でもあり、そんな時代のなかで日々生活をしている様々な人間達を描いたドラマでもある。そして何より佐藤氏の確かな筆致が読者に文字を追う快感を与えてくれるサービス精神に溢れた一流の読み物である。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)