ミエナイチカラ

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ある町に住むある男のもとに無線連絡が入った。
「君の町にはもうすぐ大きな洪水がやってくる。急いで避難しなさい」
この知らせは瞬く間に町中に広がった。人々は堰を切ったかのように我先にと避難を始めた。
しかし男は一向に逃げ出す様子がない。町の人は彼に問いかけた。
「おい。何で逃げないんだ。早くしないと洪水が来るぞ」
「逃げやしないさ。私には信仰がある。神に祈っている。神は私を愛してくれる。そして私を助けてくれる」
男はこう言うとその場で祈りを捧げだした。人々は彼を置き去りにするほかに仕様がなかった。
しばらくすると町に波が押し寄せた。男の足もとも今では水浸しだ。しかし彼は動じない。彼にはそれだけの理由があった。やがて彼のもとにボートに乗った人が来た。
「何をしているんだ。早くこのボートに乗れ。もうすぐ大津波がくるぞ」
「なに大丈夫さ。私には信仰がある。神に祈っている。神は私を愛してくれる。そして私を助けてくれる」
ボートの人は必死で説得するが男は聞く耳を持たない。ボートの人は仕方なくその場を離れた。
男は祈り続けている。波はうねりを上げて町を飲み込み始めた。そこへ一機のヘリコプターがやってきた。
「今からそこへ梯子を降ろす。しっかりつかまるんだよ」
男は大声で返した。
「心配は要りません。私には信仰がある。神に祈っている。神は私を愛してくれる。そして私を助けてくれる」
男はさらに祈った。ヘリコプターは折からの風雨に煽られて仕方なくその場を立ち去った。
結局男は死んだ。大きな波が彼の命を運び去った。
死に絶えながら男は神に訴えた。
「主よ。なぜ私を見捨てたのだ。私はいつもあなたに祈りを捧げてきたではないですか」
「愚かなる者よ。私はあなたに無線連絡を与え、一隻のボートを与え、一機のヘリコプターを与えたではないか」
生とも死ともつかない場所で男は確かにこの声を聞いた。