キャノンボール

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今日、祖母が鬼籍に入りました。享年100歳の大往生でした。
この夏に帰省した際、寝たきりでいた祖母を見てもう長くはないだろうなと思ってはいたので、携帯に母からの不在着信が何度も入っているのを見た時にある程度覚悟もしていました。
最後に会った時、目を開くことさえできなくて、それでも僕が祖母のしわくちゃになった手を握って名前を告げると嬉しそうに微笑んでくれました。ほんの一瞬の出来事だったけれど、あれがあったから救われました。
正直悲しさはありません。むしろ一世紀も生きてお疲れ様でしたというのが本心です。これ以上長生きしてなんてお願いしたら罰が当たります。
夜に走りました。走っているとき祖母のことを考えていました。祖母にまつわる思い出とかではなく、漠然と祖母と言う存在について。そして生きているということに思いを馳せました。僕は走ることに目覚めて本当によかったと思っています。吐き出し、吸い込む呼吸の音や、徐々に熱を帯びていく体とそこから流れ出る汗など、これだけ自分の生命の存在をダイナミックに感じることができるのですから。
祖母の死が僕の生きているということに対する神経の麻痺を治してくれました。
誰かの死によってでしか自分の生を認識できないのはもうやめにします。
自分自身への戒めとして今回は極私的な文章を記しました。御精読ありがとうございます。
最後に今日思い出した僕が好きだった言葉を紹介して終わりにします。

僕は死ぬように生きていたくはない
                   キャノンボール by中村一義